4・24教育事件の愛国者 朴柱範氏獄死:仮出獄2時間後に
朴柱範氏は、前兵庫朝連委員長として、4.24教育事件で被検された後、最近まで兵庫大久保刑務所で苦労してきた。氏は高齢であり、被検前から身体をこわしていたうえに、寝起きすらできなくなっていた。
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朴柱範氏は、前兵庫朝連委員長として、4.24教育事件で被検された後、最近まで兵庫大久保刑務所で苦労してきた。氏は高齢であり、被検前から身体をこわしていたうえに、寝起きすらできなくなっていた。
KBS「南北の窓」で朝鮮学校問題を扱った。タイトルは「4.24企画」在日朝鮮人、そして朝鮮学校。二〇〇二年から朝鮮学校にかかわってきた私の記憶に公共放送が4.24教育闘争を扱ったことは一度もないからだ。
ここに紹介するのは、「朝鮮民報」への掲載(5・13、17、20)に際して、筆者が加筆修正した講演録からの抜粋である。原題は「輝かしい4・24の伝統―それを継承発展させよう」。訳・タイトルは編集部による。
「4.24教育闘争」当時の一枚の写真に幼い女子児童が日本の警官によって教室の外に投げ出されている場面がある。写真の中の人物である朝鮮学校の元教師・ペ・ヨンエさんは、「ウリハッキョを奪われるわけにはいかなかった」と振り返った。
4.24教育闘争70周年行事として、犠牲となった金太一少年、朴柱範先生、そして解放運動で亡くなった人びとへの追悼文を読み上げた後、在日朝鮮人歴史研究所の呉亨鎮顧問との語らいの場を設けました。顧問の話はどれも、当時の出来事が頭に浮かんでくるようでした。
4・24教育闘争から70年。この日、黙とうはあえてしなかった。追悼ではなく、ウリッキョを守りぬくという戦いの新たな場にしたかったらだ。スマホのユーチューブから流れる、「4・24のうた」に耳を傾けた。中には思わず口ずさむ人、体験者だ。
在日同胞たちの生活の場、民族権利を守り祖国統一を促す闘いの場には必ず人々を力強く鼓舞激励する素晴らしい音楽があった。しかし長い歳月が過ぎ、世代が大きく変わる中、忘れ去られたうた歌が少なくない。
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