在日の学生がうたう統一の歌:2018ウリトレin 京都
ウリトレで大学生たちが歌う統一の歌は明るくリズミカルで力強かった。同じ振りで同じ歌を合唱しながら流した涙は、切なさではなくて、「私たちはやはり一つなのだ」という確信だった。
ウリトレで大学生たちが歌う統一の歌は明るくリズミカルで力強かった。同じ振りで同じ歌を合唱しながら流した涙は、切なさではなくて、「私たちはやはり一つなのだ」という確信だった。
日本に住む私たちにとって統一とは何なのか? 改めてそんな問いを胸に韓国の大学生と在日本朝鮮留学生同盟のメンバーたちによる「ウリトレ(私たちは同世代)」に同行した。
ある本を読んでいたところ、こんな題を持つ章に出くわした。「多かれ少なかれ国家は北朝鮮的にならざるを得ないのかもしれない」というのがそれである。政治の本でも歴史の本でもなく、マンガ批評の本である。
8日から始まった美術部の合宿に、途中参加しました。写生する生徒たちと一緒に花さじきにいます。絶景です!それぞれの感性が、繊細に、時に大胆に、リズミカルに絵になって行きます。
東京朝鮮第三初級学校校門のすぐ左側に 大きなハラボジの木像が立っています。ずいぶん高い所からえらそうな顔をして外から悪い人が侵入してこないように見張っている門番のようです。
三男坊と岐阜県瑞浪市 化石博物館へ行ってビックリ! なんと化石地下壕が強制連行の跡地であった。プレートにその事実が刻まれていたので、知ることが出来ました。聞くところによると「日朝友好の会」の一員である、日本の学校の高校社会科教師が中心になって行政と闘い、このプレートを付けたとのこと。
ソウル発「統一ニュース」からの転載。原題は「森本氏『怒りと恥かしさと嘆かわしさを感じる』 第一八〇回金曜行動、安倍政権糾弾一一一〇人国際宣言発表(全文)」。
原題は「私たちが会った人・韓国人でも北朝鮮の人でもない、私たちは在日朝鮮人:在日朝鮮人三世 聖公会大チョ・ギョンヒ教授に会う」。「ソウル大ジャーナル」(149号2018・6・5)からの転載です。
「北朝鮮」という言葉が日本では定着しているが、そもそも朝鮮民主主義人民共和国という国名をどう略しても「北朝鮮」とはならず、誤った表記方法だ。なぜこの表記が一般的に使用されているのか。
一九七〇年代の後半だと思います。国会図書館・憲政資料室で膨大なGHQ文書(米占領軍文書)が公開されるとのニュースが流れました。私は早速新しい資料を求めて国会図書館通いを再開しました。