四日市ハッキョの歩みを辿る:沿革史整理作業記⑯
二月二七日に日朝友好三重県民会議の第三八回総会が行われ、総会後の記念講演にお声がかかり、「四日市朝鮮初中級学校七〇年の歩み~朝鮮学校の存在意義とは~」という題でお話しさせていただいた。
二月二七日に日朝友好三重県民会議の第三八回総会が行われ、総会後の記念講演にお声がかかり、「四日市朝鮮初中級学校七〇年の歩み~朝鮮学校の存在意義とは~」という題でお話しさせていただいた。
在日朝鮮学生美術展(学美)やICT教育の取材をしながら、本誌20号で元小学校教員の善元幸夫さんが、ボーダーレス化する現代について語った言葉が頭をめぐっていた。
静岡チョジュンの はじまり ⑦。昨年度恋愛騒動を起こした李誠弼先生と李星麗先生が東京へ転勤させられ、他にも朴世辰、金科力、夫永實先生も静岡チョジュンを離れる事になりました。みんな期待された先生達なので、静岡チョジュンとしては痛手です。代わりに、新任の金斗千、朴美愛、金兌順、金永分先生と三多摩から私と同窓の朴珠玉先生が赴任してきました。
ウリハッキョの美術教育は、偶然、必然、色々な諸条件が重なりかなり面白い。上手い描写力をよしとしステレオタイプ(類型的、紋切型表現)の作品が多く並ぶ他の美術教育とは一線を画す。
県は一九六六年四月二二日に現地調査を行った。私立学校審議会への諮問が行われ、結果「認可を可とする」答申がなされたが、別途誓約書を提出させるという条件を付けた。この誓約書の提出過程でハッキョと県の間で攻防があった事が資料からうかがい知れる。