4.24教育闘争70年:アメリカ占領軍に 抵抗し勝利した日
ここに紹介するのは、「朝鮮民報」への掲載(5・13、17、20)に際して、筆者が加筆修正した講演録からの抜粋である。原題は「輝かしい4・24の伝統―それを継承発展させよう」。訳・タイトルは編集部による。
ここに紹介するのは、「朝鮮民報」への掲載(5・13、17、20)に際して、筆者が加筆修正した講演録からの抜粋である。原題は「輝かしい4・24の伝統―それを継承発展させよう」。訳・タイトルは編集部による。
「4.24教育闘争」当時の一枚の写真に幼い女子児童が日本の警官によって教室の外に投げ出されている場面がある。写真の中の人物である朝鮮学校の元教師・ペ・ヨンエさんは、「ウリハッキョを奪われるわけにはいかなかった」と振り返った。
これまでウリハッキョへの母性愛として語られてきたオモニ会の活動が、人権運動として、統一平和運動として評価されたことはうれしかった。来年の第四回「ハン・ギョンフィ統一平和賞」授賞式には第三回受賞者として代表が参加できればと思う。
去る四月二七日、日本の愛知県名古屋市で「高校無償化」一審の判決の裁判があった。愛知朝高卒業生と在校生が原告となって、日本政府に朝鮮学校の高校無償化制度を適用するよう五年以上にわたって要求しましたがこの日も無惨に無視されました。
日本に暮らすオモニ、お元気ですか?すっかり春です。朝鮮・平壌は、気温が低くても零下五度ぐらい、昼間は五~六℃まで上がって、厚い綿入れも脱いで…もう一か月もすると、花が咲き始めるでしょう。
私が朴英植理事長に最後にお会いしたのは、2016年の4月、朝鮮文化会館で行われた「祖国からの教育援助費と奨学金六〇周年記念大会」の場です。その時は、圧倒されるくらい気力にあふれてとても元気でしたので、こんなに急にお亡くなりになるなんて思いもしませんでした。
九時半から、ホールでテレビを見ます」と教えてくれた。担任の金桓泳さんが担任児童の世話で、校外に出ていて、両隣の一年担任姜明心さん、三年担任金裕伽さんが時折教室を覗いて、桓泳さんの不在をケアする。
4.24教育闘争70周年行事として、犠牲となった金太一少年、朴柱範先生、そして解放運動で亡くなった人びとへの追悼文を読み上げた後、在日朝鮮人歴史研究所の呉亨鎮顧問との語らいの場を設けました。顧問の話はどれも、当時の出来事が頭に浮かんでくるようでした。