4.24教育闘争70周年追悼式、東京青山霊園で開催
4.24教育闘争70周年行事として、犠牲となった金太一少年、朴柱範先生、そして解放運動で亡くなった人びとへの追悼文を読み上げた後、在日朝鮮人歴史研究所の呉亨鎮顧問との語らいの場を設けました。顧問の話はどれも、当時の出来事が頭に浮かんでくるようでした。
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4.24教育闘争70周年行事として、犠牲となった金太一少年、朴柱範先生、そして解放運動で亡くなった人びとへの追悼文を読み上げた後、在日朝鮮人歴史研究所の呉亨鎮顧問との語らいの場を設けました。顧問の話はどれも、当時の出来事が頭に浮かんでくるようでした。
1951年、突然武装した警察予備隊約五〇〇名と私服刑事たちが土足で学生が寝入っている寄宿舎、と校舎を襲撃。ありとあらゆる醜悪な方法で捜索し図画、作文、その他教材を無断で押収していった。
1951年、突然武装した警察予備隊約五〇〇名と私服刑事たちが土足で学生が寝入っている寄宿舎、と校舎を襲撃。ありとあらゆる醜悪な方法で捜索し図画、作文、その他教材を無断で押収していった。
朝鮮戦争停戦から三年、復興のさなかの一九五七年に祖国から教育援助費と奨学金が送られてきて六〇年になる。一九五七年四月から一六二回、総額は四七七億八千七九九万三九〇円に達する。(二〇一六年四月現在)
安倍晋三首相や橋下徹大阪市長などの政治家は日本軍性奴隷制が強制ではなかったなどの言説を広げています。それに対する反論は既に述べましたが、ここでは実際に被害女性たちがどのようにして集められたかを見ていきます。
日本人も学んだという「家島朝鮮初級学校」についての資料を紹介する。今回は、「新しい世代」一九六三年一二月号に載ったリポート。タイトルは「共和国の旗の下に・瀬戸内海にひびく歌声―家島朝鮮初級学校のはなし―」。
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