朝鮮学校における教育の情報化 ③-1
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インタビュー黄英鎬さん(44) 埼玉朝鮮初中級学校 ICT化推進協議会会長
教育の情報化シリーズ三回目は、保護者の意見を聞くことにした。モデル校の埼玉朝鮮初中級学校でICT化推進協議会の会長を務める黄英鎬さんにお話を聞きたいと連絡したところ、ぜひ校長先生の話も一緒に聞いてほしいとのことだった。お二人の話から、同校のICT化が、生徒たちの可能性を最大限に育てたいという教員たちの熱意と、それを積極的に支える保護者や同胞の支えによるものなのだということが伝わってきた。帰り際に会ったベテラン理科教員の「ICT化は経験豊富な教員が先頭に立たなくては」という言葉も印象的だった。
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もくじ
ICTは夢実現するための強力な武器
■きっかけは三年前の民族フォーラム
金淑子ICT教育に取り組んだきっかけは?
黄英鎬二〇一三年のフォーラム開催がきっかけだが、その前から研究者の間で二〇三五年ころには世の中の仕事の五〇%が無くなるだろうと言われているのを、本で読んでいた。こういったことに対処するためにはどうすればいいのか、現代人の生き方そのものが変わってくれば、子どもたちが学んでいくことも変わってくるだろうと考えていた。そう思っているところにフォーラム開催の話が舞い込み、その重要な骨子が「民族はどうなるのか」、そうなると必然的に未来を担う子どもたちが主役になっていく。埼玉はハッキョで未来を見据えた教育に取り組んでいると、先を見ているんだとアピールしたかった。ちょうどいい機会だと思って、自分の考えを述べると皆が同意してくれた。
その時、こんな話を何度もした。
我々が八〇年代に技術の授業でPCに触れたのがSHARPのX1と言う機種。何とメモリは4KB。
遡ると一九四〇年代、大戦時に開発されたコンピュータは大きな部屋位の大きさだった、開発が進み一九六〇年初頭に冷蔵庫数台程度、一九八〇年にはデスクにおける大きさになった。一九九〇年代になるとノートPCが登場、会社に一台だったパソコンが一人一台になり、二〇〇〇年以降iPhoneやiPadが普及して、今もまだ進化しようとしている。いずれiPhoneやiPadが出て高機能化するなんて誰も考えもしなかっただろうと。
今の中年世代は「俺はパソコン詳しくないから代わりに頼むよ」で通用したが、今後通用するだろうか? 二〇三五年までに今の職業の半分がなくなると言われている中で、未来に通用する生徒をウリハッキョで育てたい。
これからどうなるのかというのは、正直なかなか予測できないが、今の生徒たちには、どんどん変わって当然なんだと理解してほしいと。それがICT教育の主題だった。
この話をしたのが二〇一一年ころだったと思う。その時はみな「そうかもな」と言いながらも、「そこまでは」と思っていたはず。ところが五年後の今は誰も疑わない。たった五年で認識の違いが生まれているのは、毎年、めまぐるしい変化を目の当たりにしているからだ。この速さに対応できる教育が必要だと思っている。
■生徒たちのプレゼン成功で確信
金青商会に児童・生徒の保護者が多いということもあるが、学校との関係が近くないとできなかったのではないか?
黄ICT化を進めようと思ったのは、何よりもハッキョの魅力を高めたかったからだ。未来に対応して、変化に対応して闘っていける子どもたちを育てるために、能動的に取り組んでいるということをいろんな人に見てもらって、生徒数も増やしたかった。それに校長先生が賛同してくれて、一緒に取り組んでくれた。
金フォーラムでICT教育を打ち出したことに、参加者はびっくりしたのでは?
黄何を見せるのかと言うことで、たくさん議論した。ただコンピュータを見事に扱っているというのを見せてもしようがないなと。技術そのものは後から追いついてくるので。それでプレゼンテーションという形式をとることにした。子どもたちが何かを伝えたいと思うことが大切で、コンピュータなどの機器はそれをサポートする脇役だということを示したかった。
金子どもたちはどういう内容を
黄当時はいろんな取り組みをした。例えば三〇人くらいのクラスの授業で、四チームに分かれて、スマートフォンのアクセサリを企画、販売提案するという課題を投げ掛けた。製品の企画から販売までを自分たちの中で成立するストーリーに仕立て上げて、裏付ける数字を調べ、相手が納得できるようなグラフィックや簡潔で説得力のある文章を準備し、それぞれの役割を決めて発表した。人に何かを伝えるための基礎知識をあっという間に把握したようだった。とっぴなアイデアもいっぱい出て、子どもたちも楽しんでいたようだ。あと数分しかない中であわてながらいろんな資料を作ったりして。覚えが早いし、自分も頑張っているつもりだったが、若いって違うなと思った。吸収力が違う。
あのときは、青商会から二人が出て指導して、校長先生や教頭先生がかわるがわる参加してくれた。一生懸命に取り組む生徒たちを見ながら、若いけど頼もしいなと、こういう授業をしてよかったなと思った。
金フォーラムでプレゼンした生徒たちはどのように選んだのか?
黄そこで優勝したチームが、違う課題で発表した。夏休み期間にも子どもたちに出てきてもらって練習をした。成長する姿を見るは楽しいので、こちらもワクワクしてやっていた。
金この期間を通してICT教育への思いがさらに強くなったのでは?
黄こういう教育が「あってもいいな」、から「絶対に必要だ」という確信になった。日本の学校でもまだ本格化していないのにウリハッキョで続けていけるのかという不安や、父母の中の「どうなの、ICT?」「要らないんじゃないの」という声に対する心配が消えた。
金実際に授業をしてみて、青商会の中に核ができたというのは大きかった?
黄大きい。未来に賛同して、あまり詳しくないけれど一緒にやるという人もいたし、皆がハッキョのためにという気持ちで一致したのはありがたかった。
■先生たちの苦労
金青商会の申し出を受け入れることは、学校にとって大きな決断だったのでは?
黄決断の時は大変だったと思う。授業のあり方を変えてしまうことになるのだから。今までの授業案もあって、それに準じた視聴覚教材も作ってあって、毎年のパターンが出来上がって十分うまくいっていたこところに、まるっきり新しいものが入ってきて、変えろというのだから。現場の先生が受け入れるのは辛かったと思う。
金雷に打たれたような気分だったはず。
黄ところが校長先生がいち早く子どもたちの未来のために同意してくれて、一緒にやってくれた。これが非常に大きかった。中堅の先生たちが一番苦労したと思う。
金経験を積んでここまで授業を磨いてきたのに、また新しいことに取り組まなくてはいけない?
黄ICTの取り組みをやっている日本の学校の授業を見せてもらったことがあるが、この授業ではこういう風にIT機器を使ってくださいと指定されて、ただ与えられてやっているという印象を受けた。どこもやっていない中で導入の意味をみんなでディスカッションしながら納得してやっている埼玉ハッキョの先生たちの授業は、日本の学校の授業とは一味も二味も違うと思った。先生たちが実際に使ってみて、どういうところで、どういうふうに使えば子どもたちが理解できるだろうかと、試行錯誤しながらやっているので、授業に命が吹き込まれていると感じる。ウリハッキョのICT教育は埼玉においては非常にいい形で進んでいる。
金日本の学校も見に行ったのか?
黄校長先生と一緒に、ずいぶん前に。日本の学校は予算が年間五千万円出ている。あの時は、一人一台電子教科書があって、電子黒板もあって、NTTデータのバックアップで補助員が各教室に一人ずつついていて、ネットワークトラブルなどがあった場合はその人たちが対処することになっていた。先生たちは、IT機器を使ってマニュアル通り授業を推進しているようにみえた。生徒たちに何かを伝えるという意味では弱いなと正直思った。豊富な予算で贅沢な設備を整えているのを見て、日本の学校との格差を感じて悲しい思いはしたが、そこまでお金をかけなくてもできるという確信も得た。埼玉ハッキョは有志が集まって最低限の資金で最高の設備を整えたと思うので、そういうふうに考えると、あとで生徒たちはわかってくれると思う。この時代にこうやって自前でやったというのは、すごいことだったんだなと気づいてもらえると自信をもっている。
先生たちは今後、評価が難しくなると思う。前は教えて記憶させて、試験で回答して、回答率が高ければ優秀と評価していたが、知識を記憶することが基準でなくなって来ると、何をもって評価するのかということで、先生たちの能力が問われることになる。マニュアル化しにくい世の中になっているので。それが成立したウリハッキョは、素晴らしい学校になっていると思う。
金現実的な話だが、実質予算はどれくらいかかったのか?
黄Wi-Fi設備、モニター、タブレット皆ひっくるめて三年間で五百万円ほどだろうか。
金日本の学校の十分の一?
黄日本の学校は毎年五千万円、それにおそらく設置と維持で予算は別のはず。ウリハッキョの場合は全部くるめて五百万円なので、十分の一どころではない。
金支えるのは大変ではないか?
黄お金をずっと出すというのはほんとに大変だ。埼玉県が補助金の不支給を決めて今年で六年目になる。アボジ会の副会長もやっているが、アボジ会でも毎月欠かさず県庁を訪ねて補助金を再開するよう申し入れをしているが、一向に改善してない。アボジ会も青商会も分会も同胞皆が埼玉ハッキョを守ろうと一生懸命だ。
財政的には厳しいが何よりハッキョが応えてくれるので、やはり知恵を出すのは楽しいし、それをみんなで取り組んで実際に形に作っていくのは楽しい。埼玉ハッキョのICT協議会の責任者ということになっているので、ここは頑張るしかない。
■家庭ではしつけに重点
金学父母でもあると聞いたが?
黄中三のモデルクラス一期生に長女が、中一になって今年度からiPadを持つクラスに二番目が、末っ子が小四にいる。
金家で見ていてどうか?
黄何とか調べて解決しようという姿勢が見える。
金ゲームばかりしているという話もあるが?
黄ゲームをしている時間はない。中三の長女は舞踊部で、クラブが終わったらたくさんの宿題が待っている。親は早くご飯を食べて早く寝なさいというので、結構ギリギリな中で生活していると思う。時間をやりくりすることも覚えながら、効果的にこういうものを使って早く課題を終わらせるにはどうすればいいのだろうかと、本人も試行錯誤しているようだ。親はただ見守るだけで、極力やってあげないようにしている。
家庭では、まずはきちんとあいさつをすること。ハラボジハルモニが一緒に住んでいるので、帰ってきたらまずハラボジハルモニに挨拶に行くことや、人には愛想良くすること、朝は起きたら笑顔であいさつすること、人の悪口は言わないことを、普段から言っている。よく湯呑におやじの小言が書いてあるが、あれを買ってきて読ませるようにしている。大人になると、「あの人の言うことなら聞く」というふうになってしまうので、そういうときに信頼してもらえる人間になりなさいという話をしている。
すべてを学校にゆだねて子どもたちが成長するかというとそうではないので、学校では教育をして家ではしつけをする。それが合わさって立派な人間になっていくのではないかと。自分がだらしないと子どももだらしなく育つ。それを考えると親も気を引き締めて生活しないと。
ハッキョでICTばかり強調するから、子どもたちが人としての基本を知らないと言われることもあるので、協議会では、アナログとデジタルの融合、すみわけの大切さを定期的に議論するようにしている。
■保護者たちの不安
金親の中にはパソコンと関わりが少ない人も多い。
黄今はパソコンがない家も増えてきている。タブレットで解決できるので、難しいことは家ではやらないという家庭も多い。初級部の時は思いっきり外で遊んで、技術そのものは中学生の途中からでも十分間に合うと思う。ただ希望を実現するうえでコンピュータが強力な武器になることや、インターネットは危険も伴うものだということをしっかり教えてあげなくてはいけない。技術は学校で習って、家庭では自分の子どもに合わせた使い方を補充してあげればいい。
金たとえば?
黄こういう機器が発展して、翻訳ソフトもついているので、ワールドワイドなニュースを見られるようになっている。保護者たちにいろんな国のニュースを見てもらうと非常に面白いと思う。例えばこの前まで「人工衛星と称するミサイル」がと言っていたのが、だんだんそのまま「ミサイル」ということになってきている。ところが、「毎日新聞」と「読売新聞」は、英語版にはロケットと書いている。そんなダブルスタンダードを取っている報道機関があるということをまずそれだけでも見て取れるし、じゃあ世の中で韓国と日本以外でミサイルと報道している国がどこにあるかというと、どこにもない。韓国も反動的な報道機関はミサイルと言っているが、一番声高にミサイルと報道しているのは日本だ。こういうニュースがあったときは家庭で子どもたちにほかの国の報道も見てみなさいと伝える。そうなるとウリハッキョが置かれている立場に対する認識も変わってくると思う。偏った考えを作り出しているのは自分自身ということにならないように、いろんな勉強を怠らないようにしなくては。
金そうして補充する知識がない場合も多いのでは?
黄親も、変わっていく未来に飲み込まれている最中なので、子どもと一緒に勉強していくという形がいいのかなと思う。
金何をどうしていいかわからないという保護者も多いと思うが、そういう保護者を対象にした勉強会のようなものは?
黄今のところ企画はないが、要望があれば当然、やりたい。そこでICT教育がなぜ存在しているのか、さらにこれから一層存在感が強まっていくことについて話せば、今度は学校と家庭が一丸となって子どもたちの未来を明るくできると思う。
ICTはインフォメーション&コミュニケーション・テクノロジーの略で、コミュニケーション能力を、技術を使ってさらに広げようというものだ。技術学習をやっているわけではないということを理解してほしい。ICTという言葉もだんだん変わってくると思う。普通の授業の中にICT技術を取り入れることで、今まで一方通行だった教育が双方向になって、立体的になって、今までより複合的に教えられるようになって、落ちこぼれる生徒が少なくなるのではないか、そういうことを想像していただければと思う。
■時代の変化実感する経営者たち
金青商会の方々も実際企業活動をしながら、時代の変化を感じているのだろうか?
黄感じると思う。私自身も強く感じている。例えばスーパーのレジが高機能になっていて、昔ながらのレジを打っていた人は使いこなせないと思う。ベーシックな技術は教えようということになっているが、今度はそれがさらに高機能化してセルフレジがいっぱいできてきている。三〇個くらいのレジに対して、人は二人くらいで事足りる。経営者側からすれば効率がいいということになるが、機会損失とも見て取れる。四〇代、五〇代で経営にかかわっている方は常に直面している問題だと思う。
今までは、こういう会社に就職するためにこういう技術を取得するという時代だったが、技術が進歩すればするほど会社に人がいらなくなる。これからの時代は就職するという概念も減っていくのではないだろうか。それが究極になっていくと人類総自営業時代に突入していくのかなと個人的には思っている。そういう中で人間にしかできないことを、技術を駆使して、一人ではなく複数で知恵を出し合いながら、夢を持ってやれるようになるのではないかと。まだ先のように思うかも知れないが、それほど遠い話ではないと思っている。
例えば漫画家も昔は、事務所があってアシスタントたちが集まって作っていくという作業だったが、今はコンピュータで書く人も多くて、地方で住んで、自分の原稿を書き終わったら次の人にインターネットで送って、それを組み上げていくという仕事をしている方も多くいる。インターネットを使っても人と協調して物事をくみ上げていくということは変わらない。
■時代の変化とウリハッキョ
金ハッキョに望むことは?
黄ハッキョは、そこに来れば人と人がつながり、有意義な学習ができる場であってほしいと思っている。技術はいっぱいあるが、結局どう生きていくかという本人たちの姿勢と志が自分の人生と未来を作っていくと思う。学生で自由な時間があるうちに感じ取って、学んでいってほしい。
社会が変わると当然教育も変わる。学校では今まで知識を学ぶということが重要視されてきたが、もう知識を学ぶ時代は終わった。与えられた知識に対してどう取り組んでいくのかという姿勢を教えていくようになってきている。プレゼンしなさいと言われても、何を伝えればいいかわからないようでは始まらない。ICT教育をやっている間に生徒も自分自身に向き合うことが増えてくるはずだ。そうなればアイデンティティというのがさらに重要になってくる。それを日本で一番しっかり教えているのはウリハッキョではないか。知らず知らずのうちに自分のアイデンティティが刻まれて行っている。自分がどうあるべきかということをしっかり学ぶという意味において、ウリハッキョは非常に良い教育をしていると思う。ハッキョを守って、ウリハッキョがウリハッキョであらんために努力してくれた先輩たちのおかげだ。大人になって振り返ったときに、いいことを教えてもらったなと思う子が一人でも増えればいい。
金・しかし生徒数は減少している。
黄子どもをウリハッキョに送りたくないという人たちと話してみると、自分たちが通った頃のイメージ、例えばやんちゃな先生もいっぱいいて、学業が得意じゃなかった人もいっぱいいた、教育内容自体も多少偏っていた昔のイメージから変わっていない。でも今の子たちは、非常に優秀だし、教育内容も昔に比べるとはるかに高度だ。九年間最優秀なんて、私たちの時代はクラスに二~三人だったが、今は二五人中一五人くらいいる。勉強が簡単になったからなのかというと、そうではない。教科書を開いてみてもらうと、例えば数学なんて高度で理解できないと思う。英語も、IT機器を駆使してネイティブの発音をしっかり学べるようにしている。一度足を運んでもらいたいと思う。
金青商会でもそういう話は出るのか?
黄する。その時代によって題材が変わるが、子どもをウリハッキョに送った方が良いのか、どうか、どうやって出会いの場を作るのかとか、そういったことは話題になる。同胞社会を途切れさせないためにどうするのかということは常に話し合われている。
■どういう形で自己を実現するのか?
金子どもたちの将来について思うことは?
黄子どもたちの夢について私たちが具体的にどうこういうことはないが、世界中の人たちと簡単にコミュニケーションが取れるようになって、交通手段も発展して世の中の距離が物理的に近くなっている。そういうところに可能性を見出して積極的に世界にかかわる大きな人間になってほしい。
金お金を稼ぐだけが成功でない時代?
黄私は成功者の本も好きだし、成功した方と話す機会もたまにある。彼らの話をきいていると、儲けて蓄えた人は、次に人に奉仕するようになっていくなと感じる。最初は売名でやっていても、だんだんこっそり社会貢献するようになって。そこまでお金を得られるかどうかは別にして、社会に貢献したいと言う気持ちは心が豊かならば持てると思うので、そういった心持は忘れないでほしい。
金子どもたちがどういうふうに自己を実現するのかということ?
黄正直、夢を見にくい世の中というか、毎日生きていくのに追われていることも多いと思うので、その中で夢を持つのは簡単ではないが、いろんな可能性を探して、いろんなことを知ったうえで夢を持って実現してほしい。難しいのは、情報量が膨大なので、そこから正確なものを取捨選択することだと思う。
金情報に対する自分なりの基準を築くために、しっかりした人間関係を築くことが一層大切になる?
黄いろんな人と接して、コミュニケーションをとる中で、情報の取捨選択が変わってくる。それは親として、協議会の責任者として、ICTに取り組んでもらう上で一番伝えたいところ。英語を話せても伝えたいことがなければ、コミュニケーションをとれない。人に伝えたいことがあるから、技術が役立つ。結局は自分自身と向き合って、自分がどういう人間かというところに行き着く。間違った情報があるということを知っているウリハッキョの中級部生は、ほかの中学生の先を行っているのではないかと思う。
■パソコンとの出会いは中級部の「技術」授業
金パソコンについて考えたきっかけは?
黄中級部一年生の頃「技術」の授業で、ベーシックというプログラミング言語しか使えないスペックのパソコンに触ったのが始めだ。ベーシックの言語を入力すると音楽が流れるというプログラムがあって、非常に長いプログラムを頑張って入れると音楽が流れるのが、面白いなとおもったのがきっかけで、パソコンに興味を持った。一九八五年くらいだったかな。親の助けもあって家にコンピュータを置くことになって、いつもその前に座って、入力してどういうことができるのかという可能性を探っていた。ベーシックで打ち込んだ音楽や画像を自分で部分的に変えながら違うものにしていくうちにいろんな知識を得た。
一五年ほど前、HPを作った。
当時は同胞でエレキギターなどの演奏をする人も多くなかったので、同胞の行事やモイムで演奏したりして、誤解されているバンドのイメージを変えようと数人の同胞で「楽マダン」というバンドを作って活動していて、その「楽マダン」を色々な人に知ってもらいたかった。
するといろんな人がコンタクトしてきた。
朝大生からの音楽の相談だったり、同胞同士で音楽を嗜んでる人にも巡り会えたし、とても有意義だったと思う。今でも交友がある。
そういう経験があったからICTの可能性を強く感じているのかもしれない。(四月二三日)37
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