解放七〇年の現住所:植民地の歴史消したい日本、抵抗する在日朝鮮人
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「アジア女性基金」
「国が謝ることはないから、この手紙と金を受け取って!」
国家の犯罪だから国家が謝罪すべきだと主張する日本軍「慰安婦」制度の被害者たちに、「アジア女性基金」の面々はこう繰り返した。激しいやりとりが続いた。二〇年前に、「アジア女性基金」の活動中止を求めて同事務所を訪れた、被害者と支援者に同行した時のことだ。
「これで黙れよ」「加害者の汚名はもうたくさんだ」という「女性基金」側のナショナリズムがありありと伝わってくる。日本の男性たちと被害者の韓国女性のやりとりは、宗主国の男性と植民地の女性の構図を再現していた。「札束で頬をたたく」という表現はこういうときに使うのだと思った。
先月、友人たちと食事していると、テレビから「従軍慰安婦」のニュースが流れた。「戦争で女性が被害を受けるのはいつものことなのに、なぜ日本ばかり攻められるの?」一緒に食事していた日本人の女性が何気なく口走った。何も言わないでやり過ごしたが、「被害者の女性にそうは言えない」と心の中でつぶやいた。
日本軍は、戦地での女性の強姦被害の拡大を抑え、兵士の病気を予防するという目的で、植民地の十代の少女にすべての被害を集中させる制度を作った。強姦は犯罪である。犯罪をなくすのではなく制度化し、幼い十代の少女を連日十数人の兵士の餌食にしたのだ。
テレビではキャスターが「日本が謝罪したことを韓国の人は知っているのでしょうか?」と言いながら、「アジア女性基金として『償い金』二百万円 『医療福祉支援』三百万円」と書かれたパネルを示していた。韓国の被害者の多くが「アジア女性基金」の活動の中止を求め、「償い金」の受け取りを拒否したことは伝えられなかった。
それでも彼らはそれを「謝罪」と呼ぶ。彼らは本当にそれでいいのだろうか?
展示会の中止
「日本の歴史歪曲を許さない!在日朝鮮人大学生連絡会」が六月に上智大学で開催を予定していた展示会「記憶、保存、そして継承~日本の歴史歪曲に反対する」が中止になった。主催者たちは、関東大震災での朝鮮人虐殺に関する展示を予定していたようだ。しかし大学側は「政治色の強いもの、あるいは特定の国を『批判』するような内容は、『国際色豊かな』学生が集う上智大学には不適切である」と、これを許可しなかったという。
被害を覆い隠すこと、犠牲者の口をふさぐことは「政治的」ではないのだろうか? 「被害を訴える」ことと「特定の国を批判」することは同意語なのだろうか?
生徒の署名運動
大阪朝鮮高級学校ラグビー部を撮った映画「60万回のトライ」を観た日本人の観客が、生徒たちが朝鮮学校への高校無償化制度適用を求めて署名運動をするシーンが政治的だと、青春ドラマにふさわしくないと言う。在日朝鮮人の児童生徒が学ぶ朝鮮学校と「拉致問題」を無理矢理結びつけて、助成金を打ち切り、無償化制度から排除することは「政治的」ではないのだろうか。巻き込んでおいて、助けを求めたら「政治的」だと言って突き放す。これ以上のいじめがあるだろうか。
「強制労働はなかった」
「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が決まった。韓国が、植民地時代に多くの朝鮮人が強制労働させられた場所を世界遺産とすることに反対すると、日本側は遺産年次を一九一〇年までとして強制労働の歴史を消し去ろうとした。引き続き韓国が反対し、遺産の登録が厳しくなると日本側は「その意思に反して連れてこられ、厳しい環境で働かされた多くの朝鮮半島出身者がいた」と陳述し、韓国側と折り合った。しかしその翌日、岸田外務大臣は、「今回の発言は、わが国として強制労働があったことを認めたものではなく、これまでの日本政府の認識を述べたものだ」と述べ、先の大戦中に朝鮮半島の人々の強制労働があったことを認めたものではないという考えを改めて示した。「意志に反して連れてこられ、厳しい環境で働かされた」が、「強制労働ではない」という。
長野市では松代大本営工事に関する新しい説明文に、「必ずしも強制ではなかった」とする見解を併記することで、歴史的な事実をあいまいにし、群馬県では市民たちが建てた、強制連行され犠牲になった朝鮮人のための追悼碑が、県の設置期間更新拒否によって撤去の憂き目にあっている。
歳月と共に加重される抑圧
朝鮮が日本の植民地から解放されて七〇年。この間、日本は、朝鮮に対する植民地統治の歴史を曖昧にして消し去ることに躍起になってきた。冷戦における、日本を拠点にしたアメリカの対アジア政策は、彼らのそんな思惑を実現するためのこの上ない強力な追い風になった。結果、日本社会で、戦争当時のアジアの人々の被害について語られることはほとんどないまま、民族差別意識だけが引き継がれた。
そんな中、日本の朝鮮への植民地統治によって生まれた在日朝鮮人の若い世代の多くは、自らのルーツについて学ぶ機会を奪われたまま、日本社会の差別意識を内面化して、消えないしこりを心の片隅に抱え、時折うずくその痛みに一人耐えている。
ところがあらゆる手段を尽くして孤立化させ、迫害しても排除できなかったものがあった。主張する在日朝鮮人を再生産する朝鮮学校だ。いかにグローバル化が進もうと、朝鮮学校だけは容認できないと言うのが、この七〇年間変わりない日本のスタンスだ。
二〇〇〇年以降は、何の関連もない拉致事件に朝鮮学校を無理矢理関連づけて自治体の助成金を打ち切り、外国人学校にも適用した高校無償化制度から、唯一朝鮮高校だけを除外した。最近は、金日成主席や金正日総書記の肖像画を掲げる問題など、民族教育の内容にズカズカと入り込んできて、朝鮮社会と在日社会の感覚の違いを利用し、内部からの瓦解を企んでいるようにみえる。
こうして在日朝鮮人の歴史には、植民地の歴史に加え、冷戦に便乗した七〇年間の抑圧の歳月が積み重ねられた。
在日朝鮮人は未だ解放されないまま、年ごとに加重される重圧にますます息苦しくなるばかりだ。(「記録する会」金淑子)32
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