在日朝鮮人の尊厳回復のための告発
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梁聡子・社会学・ジェンダー/フェミニズム研究
在日朝鮮人人権協会 性差別撤廃部会
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もくじ
ジェンダーは生きた経験である
第一回をお読みいただき、様々な反応をいただいた。女性として生きてきた方々からは「共感できるし、自分にも同じような経験があった」「自分のことをそこまでさらけ出せて大変だったね、でもものすごくよかった」などと全般的に、嬉しい声が多かった。その一方で、男性として生きてきた方々や女性として差別を経験したことがないと思っている方々からは「少し考えすぎなんじゃないの?」「被害者意識が強いような印象を受けた」「そう考えていたなんて、怖いな、これからは気をつけないとな」など、あまり共感できないとの感想をいただいた。
ジェンダーに関する内容は、全ての方々に共感されることはない。だから様々な意見を言われることに対して、さほど抵抗はなかった。むしろ、いろいろな人がこのエッセイを読んでいろいろなことを思ってくれたことに感謝している。ジェンダーの経験は、個別具体的であるために、私の話を「ネタ」にして、親しい友人・知人・家族・コミュニティの中で、自らの生きた経験を共有してほしいと思っている。
ジェンダー不平等は日常の一コマに存在している
私が、ジェンダー不平等の問題を考えるときには、法律・制度・政治など社会のシステムの不平等だけを問うだけでは足りないと考えている。一番大事なことは、社会のシステムにジェンダーの不平等さを実感しているのは私たちであり、その不平等さを支え、強化しているのも私たちである。つまり、ジェンダー不平等は日常であり、いつでもある。
ある勉強会に参加したときのことである。かちっとした学者の集まりというよりも、幅広い人が歴史や社会問題を発表して討論するといった開かれた勉強会であった。その会の参加者は、誰もが一度は聞いたことのある有名な研究者数人、人権活動家、小中高の教員、博物館の学芸員などであった。その八割が男性であり、年齢も私が一番下であった。その日、初めて報告の機会が与えられた。ある地域における日本軍の性奴隷(「慰安婦」)制度を記憶する博物館を手掛かりに、被害の記憶を次世代に残す取り組みの重要性を報告した。その報告の依頼は、私がその地域に調査に行っていることを知っていた、市民運動家からであった。私は大御所もくると知っていたので、事前に入念な準備を進め、緊張しながら報告に備えた。自分なりにその時出せる力は全部発揮した、つもりだった。いくつか的を得た質問もあり、評判も高かった。ように感じていた。
しかし、肝心な専門分野の大御所からはなんの反応もなかった。時は流れて、数か月後、同じ研究会で別の男性が同じく日本軍の性奴隷(「慰安婦」)制度を記憶する博物館について報告を行うとの連絡がきた。その男性とは、誰もが知っている有名な方だった。その案内がきた時に「その方はどのような報告をするのかな、楽しみだなと」と思っていたと同時に、一抹の不安がよぎった。経験的な勘である。そして、その不安は見事に的中したのである。なんと、信じがたいことに私の報告とほぼ同じであり、考察も同じであった。一瞬目・耳を疑った。そしてもっと驚くことに、「素晴らしい報告でしたね」「さすが〇〇さんですね」と相次いでコメントがでた。その瞬間私は、凍りついてしまったが、次の瞬間「それ私も同じ報告しましたよね、その時に言ったように…」と続けると、時間が止まったかのような雰囲気になった。
私の話を遮るように、私と同世代の男性が慌てるように、報告している大物男性を擁護し始め、私の意見は見事に消された。その後も、果敢にチャレンジするものの、かき消された。まるで最初からこの場にいなかったのかもしれないと思うくらいの対応だった。その場では取り繕ったが、帰る電車で悔しくて涙を流した。
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自らの言葉を持ち、自らの感覚を表現すること
長らく、上記のような場面において、「自分の知識が足りなかったか」「自分の話し方が悪いのではないか」「もっとわかりやすく説明した方が良かったのかもしれない」などと、話を聞いてくれないことに対して、自分の能力の責任だと思っていた。それなので一生懸命言葉を覚え、論理的に話ができるように努力した。しかし、一向に状況は変化しないまま、こういった経験は、一度や二度では終わらずに今でも続いている。別の場面では、私が意見を述べた時には、誰も反応がなかったにもかかわらず、同世代の同業者の意見には皆で賞賛した。同じ内容なのだから、素晴らしいのであればどちらも評価し、批判するのであれば、同等に批判すべきである。
次第に、どうやら、内容ではなく、ジェンダーによってその意見に「色」がついているらしい、ということに気がついた。どうやら、これはまぎれもなく、話す内容や話し方の問題ではなく、誰が話すかの問題であり、そして「男」が話すことが正しく、そうでないものの話は「正統」ではないのだと。そして、このような経験は、私だけではなく、私が仕事をしている分野の特殊性でもない。友人たちからも良く聞く話である。私は、あまりにも多くの類似の出来事に出くわすために、最近友人たちには「あの方々(男性)には、私たち女の声は聞こえないのかもしれない」とか「周波数が違うのかな」とありえない冗談を言うくらい、女性の意見はなかったことにされている現実がある。
では、なぜ女性の意見はなかったことにされているのだろうか? それは、「男尊女卑」が身体に刷り込まれ、文化として継承されているのである。在日朝鮮人もその身体感覚に刷り込まれた、「男尊女卑」からは自由ではないのである。そして、もっと厄介なのは、「男尊女卑」に気が付いていないし、朝鮮人の在り方として間違ってないとさえされていることだ。そしてその要因を「朝鮮の伝統」として片付けてしまう人もいる。このことについて、韓国・日本で大ヒットした本、イ・ミンギョン氏の「私たちには言葉が必要だーフェミニズとは黙らない」に詳細な説明がなされている。ご一読されたい。
「男尊女卑」を文化継承としない
朝鮮人の近現代は、自分たちの当たり前を根こそぎに剥奪され、その剥奪されたものを当たり前に<戻す>ことに大きな時間・労力・知恵を使ってきた歴史だ。そのために、まずは多くの<歴史的な事実>を明らかにしてきた。在日朝鮮人も同様である。
もしかすると、祖国・朝鮮半島から離れている分だけより、<歴史的事実>に渇望を覚え、そのためにより多くの時間・労力・知恵を使い、現在でも続けているのかもしれない。その成果は、大きな「朝鮮半島の歴史」の事実を明らかにすることにとどまらず、多くの在日朝鮮人の存在意義を明らかにした。「なぜ朝鮮人の自分が日本にいるのか」「なぜこのような差別・処遇を受けるのか」「なぜ? どうして?」そして、「曽祖父母、祖父母は何を考えてきたのか」「先輩たちは何を考えてきたのか」の一端を知ることができた。これらのことは、何よりも在日朝鮮人自身の尊厳の回復に大きくつながり、今でも継続している。 大きな<歴史的事実>を知ることで、ちっぽけな自分自身でもその一部であることに誇りを持ち、朝鮮人としての尊厳を回復するのである。
<歴史的事実>のみを知るだけでは、尊厳回復を果たすことができない。なぜなら、日常を生きていく上で大事なのは、<歴史的事実>が、いま生きる私たちの考え・振る舞い・規範・思いなど「なんとなく」身につけているコトに対して、どのように影響しているのか、影響していないのか、また全く関係ないのか、を知りたくなるのである。その筆頭格が、在日朝鮮人(社会)に空気のように、網目のように張り巡らされている、ジェンダー不平等問題であり、ジェンダー規範であり、「男尊女卑」である。そしてその要因を「朝鮮の伝統」として片付けてしまって、思考停止に陥ってしまっている。
大事なことは、流されるのではなく、立ち止まり、考え、そして告発しながら、新しい価値観を創造することである。ジェンダー平等の価値観を。55
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今日のオススメの本
イ・ミンギョン(2016=2018)「私たちには言葉が必要だーフェミニズとは黙らない」タバブックス(翻訳:すんみ 、小山内園子)
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