封鎖した思い―「女」がしていい話としてはいけない話
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新連載:<女> <男>を脱ぎ捨てて
梁聡子・社会学・ジェンダー/フェミニズム研究
在日朝鮮人人権協会 性差別撤廃部会
ジェンダー平等の道ー過去を乗り越え<不安>を解放
この連載は、二〇一八年末のある夜、奇跡的な出会いから始まった。ある食事会で同胞社会における性別を取り巻く問題(以下「ジェンダー不平等問題」)に関して、私の違和感を率直に伝えた。
「朝鮮学校に通わなかった私は、同胞社会で生きるようになって、しばしば混乱することがあるのです。一番感じるのは、明確な<女><男>の位置づけを、見た目で即時判断し、相手がどうであるかを聞かずに、行動言動を発することです。それは、日本社会での違和感と重なる部分もあるし、重ならない部分もあると思います。それをどうにかして伝えたい。単なる<同胞社会の性差別の告発>で終わらせない、豊かなものを、どうにかして、形にして、同胞の今後の未来へ生かしたい。」
上記のことに共感してくれた幅広い世代のオンニたちとの会話が弾み、「そうそう!」と熱く語り、お酒や朝鮮料理の美味しさも手伝ってか、では、これらを文章にしよう、と執筆の約束をして帰宅した。
しかし、勢いよく文章を書こうとしたら、今まで言われてきた、されてきたことが私を悩ませ、筆を留めた。それどころか、「これを書いてしまったら私は大丈夫だろうか?」という言葉にできない<不安>が押し寄せてきた。その時に、頭に響いたのは、同胞年上の方からの「君は男を立てないと」「朝鮮を知らない無知な奴の戯言」「男女(ジェンダー)平等はこの社会にはなじまない」と言ったアドバイス、同世代からの「日本社会とは違う」「でもそう生きてきたからか仕方ない」、下の世代からの「オンニ/ヌナの心が強いから言えるんですよ」などという距離を置くような言葉だった。これらは言われてきたことの一部に過ぎない。また<女>である私が言った時は気にも留めなかったのに、同じ事を同世代の<男>が話すと、「それどういうこと? 詳しく聞かせて」と関心を寄せるというシーンに出くわすことが度々ある。そういう時は、怒りというより、むしろ「私はまだまだ説明の仕方、話し方が下手くそなんだ、勉強しなくては」と反省し、落ち込み、口を噤んでしまう。そんな経験は私だけでないはずだ。
今まで色々なコミュニティに参加しながら、在日朝鮮人であることを普通とされないことにいつも窮屈さを感じていたので、同胞社会と関わるようになった今、解放感は筆舌に尽くし難い。同時に、「民族解放と性別解放は両輪なはずだ」と思いながら、なんとかこの社会を生きてきただけに、余計にこれらの言葉は私を悩ませた。今まで経験したことが、走馬燈のように思いだされ、私の筆を留め、言われない<不安>を想起させることこそ、ジェンダー不平等問題の本質であり、過去の先輩たちが闘ってきたこと、現在も友人たちが闘っていることでもある。そのことをどうしても伝えたいと思い、揺れ動きながらも筆を進める決意を固めた。
「朝鮮の女らしい女」への渇望と呪縛
私は、朝鮮学校出身ではない、アボジもオモニも出身ではない。生まれた時から親戚や同胞社会とは距離をとった生活をしてきて、今でも私の家族はそうだ。アボジの親戚たちは、同胞集住地区に四世を向かえながら生活している。育った家族の中で実感してきた『朝鮮』は、歴史と向き合い、制度(社会構造)と「闘ってきた朝鮮人としての誇り」だった。他方で、生活・文化における『朝鮮』には、年に数回チェサで触れる程度であった。残念ながら、そこでの「印象」は、個人ではなく、「女」か「男」での評価・取り扱いだった。普段『日本人』の中で、色々なことに「配慮」しながらなんとか朝鮮人の誇りを持ちながら自分を保っていた私にとって、年に数回訪れる同胞の集まりは、安心できる場所だった。そのために普段は言えないこと、聞けないことをいろいろと話したかった。しかし、それは夢に終わり、同胞に『慣れていない』私にも「女」としての振る舞いが求められ、「女」たちはいつものように働き周り、「男」たちは指示しながら、時より「女」の仕事ぶりに評価を与えていた。
そんな中でも、私の胸を締め付ける光景があった。それは大好きな叔母の言動であった。親族で会社を経営していた叔母は、幼少の頃、先に日本に来ていたハラボジを追って、ハルモニと叔父とともに朝鮮から来た。とても聡明で凜としていて、経営者としても有能だと聞いていた。しかし、家では経営者の顔はなく、「男」を世話する「女」だった。ある日私は、叔母がどのような仕事をしているのか知りたいと思い、「最近はどういう〇〇をしているの?」と聞くと「ここでは、そういう話はしないのよ、女はね」と言われた。「ここでは彼女は経営者ではなく『直系長女』なんだ、仕事の話は聞いてはいけない、料理の作り方・チョゴリの話、チェサの順番くらいしか聞いてはいけない」ということなのかと思って、それ以上何も聞けなくなった。今思えばしつこく聞いてしまえばよかったのかもしれないけれど、性別役割分業の空気の中、私は、それ以上言葉を発することができなかった。その時に感じたのは、「ここで受け入れられるには、『男』が設計した『朝鮮の女らしい女』でいなくてはならない」ということだった。
いつの日からか、私は、親戚に会いに行く以外、親戚のいる地域へ行くことが嫌になってしまった。そこで受け入れられるためには、『朝鮮の女らしい女』にならなくてはならないからだ。向かう電車の中で徐々に「朝鮮の女らしい女」になる準備をし、着いた頃には誰もが受け入れる
「朝鮮の女らしい女」になれるよう努力しなくてはいけない。毎回、服装・メイク・言動をシミュレーションして、電車の中でイメージトレーニングをし、電車を降りた途端、そのモードに切り替えた。それを繰り返し行っていたある時、実はこの苦しみは、叔母の苦しみでもあるのかもしれないと思うようになった。個人的なことでは終わらない、何かがあるのかもしれないと、考えるようになった。
在日朝鮮人とフェミニズムは相性がいい?
そして、一冊のフェミニズムの本に出会った。「フェミニズム」は、女性解放を願った、近代社会を支える大事な運動・思想・理論である。それが、のちのジェンダー概念(研究)を生み出した。それまでジェンダーの本を読んでもスッキリしなかったが、ベル・フックスの『フェミニズムはみんなのもの―情熱の政治学』(新水社)―原題はFeminism Is for Everybody: Passionate Politics―には、私の経験と一致したものを感じた。この本には、白人女性たちが言ってきた「女性差別」に異議を唱えてきた果敢な黒人女性たちの姿が書かれており、人種差別の現実を自覚することを白人フェミニストたちに求めている。それまでのフェミニズムの流れを変えた貴重な一冊だ。
読み終えた時に「在日朝鮮人とフェミニズム」を考えるようになった。女性への差別を告発し、ジェンダー構造を明らかにするだけではこの苦しみの在り処を見つけることはできない。在日朝鮮人が抱えている歴史的な差別に対する集団的トラウマ(植民地支配、解放後の日本での経験)、現代における社会構造的な民族差別(法制度を含む)、生活における民族差別(ヘイトスピーチなど)、朝鮮半島を敵対視する報道など、複層的な差別にさらされながら、常に日本社会で排除されないための戦略的選択を迫られているジレンマの中で、考えなくてはならない。黒人女性の葛藤は私たちの経験と重なり、勉強になった。
その次に手にしたのは、在日朝鮮人の先輩女性たちが書いてきた物だった。それらを読むと「私だけじゃなかった」という安心と共に、「なぜ皆、苦しいのに解放できないのか」と考える。そんな時に、ジェンダー・フェミニズム運動がなし得てきたことは重要なヒントを与えてくれた。それらの経験は、手放せない「セーフティネット」になり、同胞社会のジェンダー不平等を個人的な問題にするのではなく、もう少し広く大きな枠で考える必要性を実感させてくれた。(次回に続く)54
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今日の言葉
- ジェンダー:<性>がそのまま社会的な活動に適用され、それがあたかも自然に作られているかのようにされていること。
- 性別役割分業(役割分担):夫が外で働き、妻が家事・育児に専念するなどが有名である。
今日のオススメの本
ベル・フックス(堀田碧訳)2003『フェミニズムはみんなのもの―情熱の政治学』(新水社)
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