10年目迎えたセッピョル学園は誇り。同胞のつながり広めたい
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在日本朝鮮青年商工会幹事長
茨城朝鮮初中高級学校総務部長
李応虎さん
プロフィール
- 1974年生まれ
- 茨城朝高、朝鮮大学校歴史地理学部卒
- 1997年 在日本朝鮮青年同盟(朝青)茨城県本部
- 2007年から現職*2018年6月現在
「泣いて始まった学園、いい涙で卒業」
金淑子セッピョル学園が一〇回目を迎えました。今日は最終日の三日目ですが、いろいろな思いがあるのではないでしょうか?
李応虎私は初回からかかわってきました。始まりは昨年の中級部三年生が初級部一年生の頃でした。彼らが卒業して、今年は二クール目の第一回ということでしょうか。児童生徒たちは、日本の学校など他校からの編入生を除いて、全員初級部一年生から参加しています。昨日の公演では中三の女子生徒が何人か泣いていました。一人は青商会副会長の娘さんで、彼女をウリハッキョに入れる時、副会長はずいぶん悩んでいました。初めてセッピョル学園に参加した時も、彼女はずっと泣き通しで、先生が「もう少ししたらオモニが来るからね」と言ってなだめていました。そうして何とか二泊三日をやり過ごして最後の日に、その子が「先生、もう嘘はつかないでね」と言っていたのを思い出しました。彼女のアボジが今朝、会社に向かう前に、「泣いて始まったセッピョル学園が、最後、いい涙で終わった」と言っていました。
金学園が開催されている期間、青商会の会員たちはハッキョに泊まるんですか?
李近くの人は通いますが、多くは近くのホテルに泊まります。学園の期間に二泊する会員もいれば、都合で一泊だけという会員もいます。従来は金、土、日曜日に開催するのですが、今回は歌劇団の公演が木曜日にあったので、木、金、土曜日の開催となりました。二日目夕方の焼き肉と文化公演にはいつももっと多くの人が参加するのですが、今年は金曜だったので仕事の都合がつかない人が多くて、例年より参加者が少なかったです。
最近は、青商会会員だけでなくオモニたちも泊りがけで参加する人が増えました。昨日の合唱にも多くのオモニたちが参加していましたよね。保護者の戸数は減っているのですが、協力してくれる方の数は増えていて、保護者同志の交流も深まっているようです。
賛同求め、奔走した青商会や教員たち
金初回、セッピョル学園を始める時にはどんな役職を?
李今と同じ青商会幹事長でした。二〇〇九年に茨城で民族フォーラムを開催することになったのですが、この年の茨城ハッキョの初級部入学生が一人だけでした。その三年前も一人だけだったのですが、その児童は一年でハッキョを去りました。この時の失敗から教訓を得なくてはいけないということで、教員や青商会でいろいろ話し合いました。
茨城はもともと大きなハッキョではありませんが、それでも今の青商会メンバーが生徒の頃は、初中級で一学年二十人ほど、高級部になると群馬や栃木、新潟からも集まって五十人くらいにはなりました。当時のざわざわした雰囲気を今の児童生徒たちにも味合わせてあげたいと、一九九〇年代中ごろから朝青と学校が話し合って茨城、群馬、栃木、新潟の初級部高学年の児童と中級部生徒たちが集まる、茨城学区の少年団連合団行事を毎年六月に一泊二日で開催していました。そこで、ウリマルの常用や学習、生活などの運動をスタートさせて、全国的な模範分団として表彰されるまでには至らなかってけれども頑張った少年団を北関東として独自に表彰したりしていました。
そういう土台はあったのですが、やはり低学年の児童も一緒に、それも二泊三日となるといろいろ不安もありました。地元の茨城青商会では「やろう!」ということになったのですが、特に他県のハッキョの同意や保護者の説得には手間取りました。初級部一年生は入学してまだ二か月少しです。親元を離れて泊まったことなどないはずです。おまけに宿泊施設があるわけでもなく、校内でのお泊りです。
金当初は今よりも人数が多かったので、講堂で寝た生徒もいたと聞きました。
李そうですね。中級部の男子生徒は講堂の舞台で寝たと思います。
そういうことで、当時の青商会会長の李忠烈さんが、初代のセッピョル学園長で民族フォーラムの実行委員長も兼ねていたのですが、わたしともう一人と三人でゴールデンウィークに二泊三日で福島、新潟、群馬、栃木を回って県の青商会会長らに会って、セッピョル学園の趣旨や内容を説明して、賛同を呼びかけました。この時は、初回は費用を全額、茨城青商会が負担するけれど、二回目からは分担金をお願いしたい、できればすべてのハッキョが持ち回りでできれば、という話をしました。他県の青商会も「子どもたちのためならば」ということで賛同してくれました。
金先生たちも他県のハッキョを回って賛同を呼びかけたと聞きました。
李そうですね。青商会の会長が学園長を務めて運営を支えて、頑張っていますが、実際先生たちの責任感や苦労に比べれば、遠く及びません。幼い子どもたちを茨城ハッキョに連れて行って、そこで二泊三日、夜も休む間なく見守ることは大変なことです。すぐに「やりましょう」というわけにはいかなかったと思います。カリキュラムの調節にも苦労したと聞いています。
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