宮古島の「慰安婦」の少女たち:空襲と飢餓の中、行方知れずに
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「命に係わる危険な暑さ」に、二〇一〇年六月に訪ねた沖縄を思い出す。沖縄滞在中に一泊二日で宮古島を訪ね、沖縄県教職員組合の方の案内で「アリランの碑」を見学し、碑の土地のオーナーの与那覇弘敏さんのご自宅にお邪魔して話を聞いた。
アリランの碑
「アリランの碑」は、与那覇さんの申し出を受けた韓国と日本の調査団の協力で、二〇〇八年九月に建てられた。かつて「慰安婦」の少女たちが、洗濯帰りに一休みしていた場所にある。「女たちへ」と書かれた碑の両脇には「日本軍による性暴力を受けた 一人ひとりの女性の苦しみを記憶し 全世界の戦時性暴力の被害者を悼み 二度と戦争のない平和な世界を祈ります」と一二の言語で刻まれた碑が建っている。
与那覇さんの証言
初めて慰安婦を見たのは昭和一九年の春頃だった。五年生になっていた。美しい姉さんたちが兵舎に見えたので、「どうして兵隊さんなんかがおる兵舎に女がおるかな、何をする女性たちか」と不思議に思った。あとで兵隊たちが大人たちに話しているのを聞いて、朝鮮から連れてきた女性たちだと知った。空色のブラウスにスカート、たまには黒のスカートやブラウスに空色を合わせて着て、いつも三~四人で行動していた。年のころは十七、八で、今の高校生くらいだったと思う。美しかった。
彼女たちはツガガーという湧き水の出るところに洗濯に行った帰り、よく巨木の陰で一休みしていた。そこは部落の人が夏の暑い日など、仕事の合間に休むところでもあった。しかし部落の人と彼女たちが話している場面を見たことはない。ある日彼女の中の一人が「兄ちゃん、何年生か」と声をかけてきた。「五年生だけど、学校にはぜんぜん行かない」といったら「何で、先生に怒られないか」といっていた。流暢な日本語だった。
「唐辛子がほしい」といわれたが、私には「唐辛子」が何なのかわからなかった。当時は学校の教室以外で標準語を話すことはなかった。友達に「クース」のことだと聞いて、近所の農家から熟した唐辛子を五、六本もらってきてあげると喜ばれた。
彼女たちが一休みする巨木の原野から百メートルほど行くと「慰安所」があった。一般兵たちの外出が許される土曜日の午後や日曜日には、「慰安所」の前に多くの兵隊たちが列をなして並んでいた。私たちが若いときに、映画館の前に並んだのと同じ光景だ。
昭和二〇年五月にイギリス艦隊の一斉砲撃が宮古島を襲った。その後、宮古の飛行場から特攻隊が沖縄近海に向かって飛ぶようになった。たまに整備が間に合わなくて、出発が一~二日延期されることがあった。すると住人が台湾に疎開して軍が接収した、赤レンガの民家で、一晩騒いで過ごしていた。ここにも何人か「慰安婦」がいたと思う。
軍旗祭といって歩兵三連隊のレクリエーション大会のようなものが行われたことがあった。そこで「慰安婦」の姉さんたちが手にハンカチのようなものを持って「アリラン」という歌を歌いながら、舞をした。これをきっかけに、「アリラン」が地元の女性たちの間で流行した。当時は地元の女性もみな「アリラン」という歌をよく歌った。
彼女たち以外にも、朝鮮から連れてこられた鍛冶屋の軍夫たちが、陣地構築のためにしばらくの間、近くにいたが、女性たちと朝鮮人同士で話している姿は見たことがない。
初めて空襲があったのは昭和一九年一〇月だった。二〇年始め頃には、空襲が頻繁にこの島を襲うようになった。その上、厳しい食糧難に見舞われた。民家に物乞いに来たり、泥棒したりする兵隊も出てきた。地元の人たちみなが被害を受けていた。一度だけ、姉さんが、畑に植えてあったにんにくを勝手に食べたと、畑の主にしかられている姿を見たことがある。「知らなかった」「野生のものだと思った」と謝っていた。彼女たちがどこかに物貰いに来たといううわさは聞いたことがない。脱走を試みて見つかり、銃殺される兵隊も多かった。原野には亡くなった人を埋めた目印に、いくつもポールがたっていた。
「慰安婦」の女性たちが空爆の被害にあったということはないと思う。近所なので爆弾が落ちればわかるが、そんな跡を見たことがないので、これだけは自信をもって言える。ただ「慰霊の日」の六月二三日までには全員いなくなっていた。いつ、どうして彼女たちがいなくなったのかはわからない。
「(アリランの碑の横の)希望の木もだいぶ大きくなった。こんな小さな木を植えたのに。この一帯に木を植えて『平和の森』にする予定だ」と話していた。うだる暑さの中、草を刈る彼の姿が思い浮かぶ。
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この時期、日本のメディアは一斉に「終戦」を特集する。しかしそこに植民地・朝鮮は存在しない。植民地支配で朝鮮人から人としての尊厳を奪い、解放後も被害者を侮辱し続ける日本。それは朝鮮学校への弾圧と軌を一にする。、八月はそんな歴史を改めて心に刻み直す月にしたい。(編集部・金淑子)50
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