読者の批評
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『風景』の中には色んな人が…みんな「仲間」で「同志」
李仙香・京都在住
二〇一七年九月一三日、この日を私は生涯忘れることはないだろう。
九月一三日はうちのナンピョンの誕生日だ。子どもたちは寝ぼけながら起きてきて、アッパの顔をみて「チュッカハンミダ!」と決まり文句の様にいう。アッパは嬉しそうに笑う。
でも今年は私もアッパもそして子どもたちも、「チュッカハンミダ」のあとに同じ言葉を発した。
「今日やな。」
朝鮮高級学校を高校無償化の対象に指定しなかったのは違法として、東京朝鮮中高級学校の生徒六二人が国を相手取って損害賠償を求めた訴訟の判決が出る。
広島の不当判決、そして大阪の勝訴。ここ京都でも大阪勝訴の判決に、同胞たちは抱き合いうれし涙を流した。その時の映像が、余韻が残る。だからきっと東京も!そう思っていた。
政府の横槍が入ったとしても、
きっと勝つ!
勝てる、負けるわけがない!
勝ってほしい…色んな思いが過る。
…
Facebookを開く。
そこには信じられない言葉たちが並んでいた。
「不当判決」、「朝高生の声届かず」。
裁判官は「原告の訴えを棄却する」、「裁判費用は原告の負担とする」と主文をさっさと唱えて逃げるように消えていったとか。なんで? ありえへん! そんなこと絶対あったらあかんのに!
朝鮮高校に無償化を適用することは国民の理解を得られないと言われた時、怒りが沸き上がった。
大阪「無償化」裁判報告会の時に大阪朝高女子生徒が言った、「やっと私たちの存在が認められたんだ、私たちはこの社会で生きて行っていいんだ」の言葉に涙が溢れ出た。
そして、東京で裁判官が吐き捨てるように主文を唱えてそそくさと帰って行ったと聞いた時、改めて勝つまで諦めないと心に誓った。
私が暮らす京都では「無償化」裁判はしていない。だからといって、これは他人事ではない。「自分たち」の問題としてとらえている。
でも広島、東京、愛知…裁判所や集会に出向くことは中々難しい。だから『朝鮮学校のある風景』を手に取り、隅々まで読み漁る。そこには、その場に居た人たちの生の声がある。その場に居た人たちが感じたことが綴られている。実直に、ダイレクトに、感情のままに。
それだけではない。
東京朝鮮学園/東京朝鮮高校生の裁判を支援する会/国賠控訴弁護団の声明や大阪朝鮮学園の声明、無償化裁判の記録が一冊にまとめてある。
これは立派な資料であり、記録なのだ。だからこの冊子を通して分かち合い、怒りも共有する。(45号141~198頁)
『風景』の中には、色んな人が住む。
国籍、性別、年齢、住んでいるところ…みんな違う。会ったことない人も沢山いる。でもどこかで会ったら、ずっと昔からの友だちのように接することが出来るのだから、不思議だ。それは、みんな「朝鮮学校」が好きで、「朝鮮学校」を思い、「朝鮮学校」を守っているから。『朝鮮学校がある風景』が大好きだからだろう。みんな「仲間」で「同志」。
みんな繋がっている、思いは同じなんだと思わせてくれる冊子なのだ。
民族教育七〇年の歴史は、闘い、権利をひとつひとつ勝ち取ってきた。
日本政府からもらったものなんてひとつもない。
「正義は必ず勝つ!」。だから『朝鮮学校のある風景』の読者、筆者たちと心をひとつに勝利の日まで頑張ろう。
私個人的には、「ポスターチラシに見る元気な同胞社会!! 守るぞ!! ウリハッキョ!!」(207~221頁)の企画が大好きだ。
そんなにパソコン操作が好きでも得意でもないのに、よくチラシの作成を依頼させる私は色んな地域の、色んな団体のチラシを見ては勉強させてもらっている。
一昔前まではちょっといいなぁと思うチラシは業者が作成していたのに、今では総聯、ニョメン(女性同盟)、朝青イルクンたち、非専任までもがまるでプロが作ったかのようなフライヤーを作成するのだから素晴らしい。
ネタ切れの時、このページを捲りながら気に入ったチラシに似せて作ってみる。著作権違法なんだろうかと思いながら…。
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かつての「夢」を現実へと昇華させる情熱と実行力に感服
朴東浩・神奈川県在住
二〇一一年四月、幼いころ学校の年中行事として強制的に走らされたものを除くと、初めてマラソン大会なるものに出場しハーフマラソンを完走した。河川敷の大会だったが、どうせ休日だからと当時一歳半になる子どもと妻も一緒について来てくれゴール前で待っていてくれた。
その時からずっと「次はフルマラソン」と誓いつつ、練習をさぼったり、日程が合わなかったり、膝を痛めたりで中々そのチャンスに恵まれなかった。昨年末には伊豆大島での大会に申し込んだものの大会前日から出張が入りやむなく断念。そしてつい先日(一〇月二九日)、横浜マラソンに見事当選し前日に受付まで済ませたにもかかわらず、季節外れの台風の影響でまさかの大会中止。フルマラソンにはつくづく縁が無いようである。
そんな体育の秋、45号の巻頭は朝鮮大学校の宋修日先生のインタビューから始まった。(11~30頁)
宋先生とはかつて朝青朝大委員会責任指導員(宋先生)と留学同中央委員長(私)という互いの立場から少なくない接触を持ち、毎年共同行事も行い、同時期にそれぞれ子どもも生まれプレゼントも交換し合うというご縁に恵まれた。
一時的に別行事となった年末の行事(学科別研究討論会)を数年ぶりに共同行事に戻そうというその年に二人とも新たに責任者となり、それぞれの団体が持つ構想や理想、そして「現実的問題」の中で四苦八苦したことを今でもよく覚えている(もちろん一番苦労したのは双方の事務方の後輩たちではあるが)。
しかし苦労は苦労であったが、その苦労を嫌な思いをせずに乗り越えられたのはひとえに宋先生の情熱とお人柄のおかげではないかと思っている。日本学校出身の私からするとコワモテだらけの朝大出身者の中で、宋先生から感じる包容力(?)に私をはじめ留学同のイルクンたちはいつもホっとしていた(笑)。
そんな宋先生がここ数年在日同胞空手選手の国際大会出場に向けて大変な努力を重ねていることはフェイスブックなどを通して知っていた。先生が繰り返し書き続ける「共和国旗を一番高いところに!」は既に私の心にもしっかりと刻まれた言葉でもある。かつての「夢」を現実へと昇華させる宋先生の情熱と実行力に感服すると同時に強烈な刺激を受けながら、改めてエールを送る次第である。
さて、今号(45号)には在日朝鮮学生美術展(学美)に関する記事も目に留まった。(109~129頁)この学美、正直言うと私も今までそれほど関心を持っていなかった。今号で鳥取大学の高田明香里さんが「美術というものはぞんざいに扱われやすい」とおっしゃるように、私も「ぞんざい」に扱ってきた一人と言える。子どもが初級部に入学した昨年、子どもたちが集団で展示会を見学に行く日に妻の仕事の関係上私が子どもを迎えに行かなければいけなかったのが初めて見学したきっかけであったのが正直な話である。
私は美術や芸術というものに本当に疎い人間である。国立西洋美術館も東京都美術館も上の森美術館もある上野に毎日通いながら、いずれもいまだに一回も行ったことがないほどの人間である(たまに前売りチケットは買うのだが、結局どれも行っていない)。
そんな私だが「偶然」にも初めて見た学美は非常に楽しかったことを覚えている。横のスペースには日本学校の生徒たちの作品も展示されており、それももちろん皆良い作品なのだがウリハッキョの学生たちの作品は何というのだろう、実に自由であった。感嘆してしまうような立派な作品から、何でこれを書いたの? とクスッと笑ってしまうような作品まで、実に多彩であり多才であった。
結局今回述べたい事は、学校って「国語算数理科社会」が全てじゃないということである。私が子どもの頃、体育とか音楽とか図工などの授業はほぼ「休憩時間」と捉えていた気がするのだが、実はその「休憩時間」が人間形成にとって何よりも大事な時間なのだということは今になってみるとよく分かる。その点、朝鮮学校の音楽、美術(図工)、体育の授業はただの「休憩時間」でなく、一人一人の特性を十二分に引き出してくると同時に、皆の個性を大切にしてくれる本当に大切な時間だと思う。
私の息子も学校で一番好きな科目はご多分に漏れず「国語算数理科社会」以外の教科(+給食)だそうだ。いわゆる「お勉強」は、本人にとって来たる時が来れば周りが黙っていてもやるものだ。「それ以外の時間」で大いに人間力を育てて欲しい。
という事で、来たる一一月二六日には朝大にて催される「달리기대회」に息子とともに出場しようと思う。自分との闘いとなる長時間のフルマラソンも楽しみだが、六年前はゴールで待つしかなかった息子と楽しく走る短い時間もまた楽しみだ(なんとか出だしに繋がった)。
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