戦後教育法制の根幹を否定する判決 〜 大阪地裁の判決に寄せて
スポンサードリンク
駒込 武・京都大学大学院教育学研究科教授
一月二六日、大阪朝鮮学園が大阪府・大阪市による補助金不支給の取消を求めた裁判において、原告敗訴という判決が下された。
近年、司法が行政の方針に対してきっちりと「否」をつきつける例は少なくなっている。わずかな例外として、高浜原発再稼働を差し止めた福井地裁の判決などを挙げることができる程度であろう(この時の裁判長樋口英明氏は、その後左遷された)。司法の独立性という原理が瀕死の状況である以上、一般的に裁判の行方にはあまり期待しなくなっていたのだが、大阪朝鮮学園をめぐる訴訟の判決は楽観視しているところがあった。補助金にかかわる大阪府・大阪市の措置の横暴さ、その理屈づけの杜撰さがあまりに明白だったからである。さすがに司法の場に出たならばその主張は通らないだろうと思っていた。
ところが、こちらの楽観的な予想に反して、裁判所は大阪府・大阪市の主張を全面的に追認し、正当化してしまった。ここでは、その驚きと失望と憤りの思いが冷めやらないままに記した文章を転載したうえで、あらためて忍耐強く判決文を読み直して感じた問題点を記すことにしたい。
スポンサードリンク
◇ ◇
この判決の不当性は次の三点に要約できる。
①大阪府による補助金とは、元をただせば税金である。朝鮮籍・韓国籍の在日朝鮮人は、日本社会における永住者として、一般の「日本国民」と同様にありとあらゆる税金を負担している。その永住資格は、植民地支配の歴史の中で日本に渡り、定住するにいたったという、歴史に由来する権利でもある。それにもかかわらず、参政権を認められずに税金の使い道について議論できないことがそもそもおかしい上に、税金の一部が教育費として還元される道筋までもが閉ざされるのは不当である。この問題について「日本国民の血税を朝鮮学校に振り向けることに反対する!」というようなセンセーショナルな主張がなされがちだが、在日朝鮮人に限らず、永住資格を持つ在日外国人が、消費税のような間接税はもちろん、所得税、固定資産税などの直接税を「日本国民」と同様に負担しているという事実を見過ごすべきではない(厳密には、非永住者の居住者はもちろん、非居住者ですら所得税と消費税を課されていることをここに付け加えておきたい)。
②大阪府が補助金支給の要件として、「学習指導要領に準じた教育」を掲げていることが不当である。朝鮮学校のような外国人学校は、多くの場合、学校教育法第一条に定める「一条校」ではなく、私立各種学校として位置付けられている。「一条校」ではない私立各種学校は、学校制度体系上において不安定で周縁的な地位に止まることを引き換えとして、管理運営体制や教育内容をめぐる自由を認められてきた。私立学校法第5条の規定も、行政が私立各種学校の教育内容に立ち入ることを否定している。それにもかかわらず、「一条校」を対象として想定する学習指導要領を持ち出して、「学習指導要領に準じた教育」をしなければ補助金を支給しないという対応は、不利益措置を媒介とした間接的強要である、しかも、「学習指導要領に準じた教育」という時の「準じた」は恣意的な解釈の余地が大きい。20年近くにわたって継続してきた補助金支給を、このような条件により中止することは、行政の継続性を損なうものであり、行政への信頼を失わせる。さらに、原理的には、朝鮮学校のみならず、地方公共団体からの補助金を不可欠とする大多数の私立学校の存立基盤をも脅かすものとなるだろう。
③大阪府は補助金を支給しない要件として、「公安調査庁による調査の対象となっている団体」とのかかわりを挙げている。これは実質的に朝鮮総連を狙い撃ちとした規定である。日本と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という国vs国の対立関係。それに由来する不信や敵意、いわば「公安警察」のロジックを、教育の場にそのまま持ち込むべきではない。日本の批准した「子どもの権利条約」第30条においても、民族的・宗教的・言語的マイノリティの子どもたちが自己のルーツを確かめ、自らの文化や信仰や言語を守る権利を否定されてはならないと定めている。大阪府の定めた「大阪府在日外国人施策に関する指針」においても、「在日外国人学校の児童・生徒への嫌がらせや暴言・暴行などの事象」を防がなくてはならないと記している。今回の補助金支給停止は、大阪府による「児童・生徒への嫌がらせ」そのものであり、大阪地裁の判決はこれを追認し、正当化するものである。今日取り沙汰されている共謀罪をめぐる問題にもつながるが、実際の犯罪的行為によってではなく、思想や信条によって一定の人びとを「敵性国民」「犯罪予備軍」とみなして人権を制限するのは不当である。外交上においては不信や敵意を拭うことが容易ではないとしても、子どもたちは憎しみの連鎖からできるかぎり自由であるべきである。その原理を認めず、「公安警察」のロジックで補助金支給の要件を定めるならば、まず「子どもの権利条約」の批准を公に取り消す必要がある。
◇ ◇
あらためて判決文を読み直して、とりわけ右の②にかかわる被告大阪府(大阪市も同様だが、煩瑣となるのでここでは大阪府に限定して話を進める)の主張が論理的に破綻しているにもかかわらず、裁判所がこれをそのまま追認してしまったことの問題性を明確化しておく必要があると感じた。
大阪府は、私立各種学校である朝鮮学校に対して、なぜ「学習指導要領に準じた教育」を要求することができるのか。この点について、大阪府は次のように弁明している(大阪地裁判決文21頁)。
外国人学校は、学校の設置主体が学校法人であって、私立学校法の適用の下に公共性が一定程度担保されるとともに、1条校に準じた教育がおこなわれている点において、他の各種学校とは教育の実態が異なることに着目し、1条校と同様に助成の措置を行うこととしてされてきたものである。
このように、本件大阪府補助金は、私立外国人学校が、学習指導要領に沿った1条校に準じた教育を行うという実態に鑑みて助成の措置を行うのであるから、この点を対象要件として明確にするため、これを4要件として追加することにしたものである
朝鮮学校が「1条校に準じた教育」をおこなっていることは確かである。そのことは、修業年限、学齢、一年間あたりの総時間数、その中で普通科目の割合の占める教科など形式的なことから判断できるものである。だが、もとよりそれは、1条校と同じということではない。実際、各種学校であるために、高級学校卒業生が国立大学を受験するのに「出願資格審査」を経たり、大検を受検したりしなくてはならないという不利益を受けている。それにもかかわらず、大阪府は、「1条校に準じた教育」をおこなっているのだから、学習指導要領についても「1条校に準じる」ことを求めている。
これは、「1条校に準じる」という意味合いの恣意的な拡大解釈である。
この拡大解釈は、「政治的中立性」をめぐる問題において、いっそう明確にあらわれる。
教育基本法第14条第2項には「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」と定めている。この場合の「法律に定める学校」とは専修学校や各種学校を除外した、1条校を指している。そのこことは文部科学省の公式の解釈でもあり、法廷で原告が主張したことでもあった。それくらい、各種学校と1条校の違いは教育法制上において重要な意味を付与されている。したがって、各種学校についていえば、教育の政治的中立性にかかわる要請も、当然のごとく、適用対象外なのである。
それにもかかわらず、大阪府は、「政治的中立性」を求めるという名目において、補助金交付の条件とした「4要件」において「特定の政治団体」との関係を断つことや「政治指導者の肖像画」を外すことを求めた。この法外は要求の根拠は何か。法廷では「各種学校である原告についても「公共性」は求められているのであって、この「公共性」には、私立学校の政治的中立性も当然に含まれる」と主張している(判決文22頁)。「公共性」という曖昧な概念を媒介として、「法律に定めのない学校」(各種学校)も適用対象だと強弁しているわけである。ただし、論理の破綻を繕うためであろう、この文章の前段では「各種学校」について記しているにもかかわらず、後段では「私立学校の政治的中立性」というように「私立学校」に主語を変換している。その上でさらに言葉を重ねて、「1条校に準じた教育が行われているといえるためには、教育の政治的中立性が確保されていることが必要である」(判決文22頁)というように、やはり「1条校に準じた教育」という言い方で、1条校と各種学校の違いをなし崩し的に無化してしまう。「1条校に準じる」という言葉を、いくらでも拡大解釈可能なマジックワードとして機能させているわけである。
被告大阪府が、苦し紛れに弁明にもならない弁明を並べ立てるのは、ある意味で当然のことであり、驚くにあたらないともいえる。驚くべきことは、裁判官が教育法制の根幹を否定する非論理をそのまま追認してしまったことである。
判決文において、以上の4要件にかかわる「当裁判所の判断」は以下のように記している(64~65頁)。
税金等の公金を原資とする本件大阪府補助金は1条校に準じた教育活動が行われている学校法人に対して交付されるものであることに照らせば、1条校に準じた教育活動を行っている学校あるいは同学校を運営している学校法人であるとはいえない場合に、本件大阪府補助金の交付が受けられないとしてもやむを得ないといわざるを得ない。〔…〕 各種学校においても、私立学校として「私立学校の健全な発達」を図ることを目的とし、「公共性」が求められていることは否定できないところであって、そこには私立学校にも一定の政治的中立性が要求されると解される。
「1条校に準じた」という表現の中に、修業年限や時間数など形式的な要件と、内容的な要件の双方をごたまぜにしてしまっている点も、後段において「各種学校」という主語で語り始めながら「私立学校」一般に横滑りしてしまっている点も、被告大阪府の非論理そのままである。司法の自殺行為というほかはない。
スポンサードリンク
◇ ◇
大阪地裁の判決からほぼ一か月を経て、学校法人森友学園による「瑞穂の國記念小學院」の創設にあたって、国ぐるみ、大阪府ぐるみで一〇億円あまりの資金供与が不正な形でなされた疑惑が報道されている。さらに、安倍昭恵氏が「安倍晋三内閣総理大臣夫人」として名誉校長に名を連ね、「安倍晋三記念小学校」という名称で寄附金集めもなされたことも判明している。まだ大阪府による設置認可は正式にはなされていないようだが、同校は私立各種学校ではなく、私立小学校、すなわち1条校としての認可を求めている。また、森友学園の経営する塚本幼稚園は、れっきとした1条校でありながら、運動会の先生において子どもたちに「安倍首相ガンバレ」と言わせている。それにもかわらず、これらの学校に対してはこれまでのところ「政治的中立性」が問われることもなく、国有地払い下げや各種助成事業を通じて多大な公費が投じられてきた。朝鮮学校に対しては、私立各種学校であるにもかかわらず「政治的中立性」が厳しく要求されて、補助金支給の停止が司法の場においてすら正当化されてしまった。その場合の「政治的中立性」とは一体何を意味するのか。「政治的中立性」とい名の下における排外主義、人種主義、日本人の自民族中心主義にほかならないのではないか。
大阪地裁判決の投げかける問いはあまりにも重たい。「法のもとでの平等」という原理の再建を目指してこの判決を破棄させることは、朝鮮学校関係者の課題であるのみならず、日本社会におけるすべての居住者の責務である。(2017・2・22)42