ある韓国人が感じた!?ウリハッキョ③
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木の香りのする新しい鋭い鉛筆ではなく、
何日も誰かの手に握られて先が丸くなった
みすぼらしい小さなモンダンヨンピル(ちびた鉛筆)。
握るのもやっとの短い鉛筆を使って書く
字や絵の一つ一つが、
ある者には切実な願いであり、
ある者には絶望の果てに再び新しい力を得る
希望であることを知りました。
その願いと希望で、使えば使うほどさらに育つ不思議なモンダンヨンピル。
私は今それを通じて
朝鮮学校の子どもたちとその両親たち、
そして在日朝鮮人の人生に、真剣に向かい合っています。
白宇瑛・「モンダンヨンピル」運営委員
これまでの話/出所・「福音と状況
プロローグ・三つが集まって一つになる話
その2・「彼らの学校」でもなくて「君たちの学校」でもない「ウリハッキョ(私たちの学校)」 *以上33号に掲載
その3~5・Pが教えてくれた朝鮮学校の話 *34号に掲載
その6・「気をつけて、ウリナラに帰ってね」
ありがたい一方で、少し苦々しかったです。それでもこうして知らされて良かったとも思いもしました。
先週末以降、ポータルサイトの検索語は、「ウトロ村」がずっと上位に上がっていました。「無限挑戦」というある芸能番組の力でしたよ。
遅ればせながら知らされたウトロ村の話
海外同胞に故郷の味を配達するプロジェクトでした。日本のウトロ村にいらっしゃったおばあさんに故郷の食べ物を配達した「無限挑戦」のユ・ジェソクさんとハハさんは、そこで涙を流して申し訳ないといいました。遅すぎました、申し訳ありませんと。
日帝期に強制徴用された朝鮮人の村、今となっては韓・日どちらからも見放された所、在日朝鮮人の歴史を最も克明に表わすウトロ村の話が放送を通じて伝えられました。教養ドキュメンタリープログラムではなく芸能プログラムでした。それでも影響力ある芸能番組だったので、これほどの関心を呼んだのかもしれません。
日本全域には、他にも数多くの「ウトロ」があります。日本によって痕跡もなく消されてしまった他の「ウトロ村」です。
茨城県にある日立市の鉱山地域にも朝鮮人強制徴用労働者が住んだ所があります。二年ほど前、日立市に住む地域歴史学者の力を借りて訪ねて来ました。そこは日立鉱山入口からかなり歩いたところ、ほとんど山頂に位置していました。息を切らして上がってみると、そこには何もありませんでした。ただ生い茂った雑草と周辺の地形より少し平たい家の跡地、それが全部でした。 ここが強制徴用された朝鮮人が収容された所という表示もない所に、唖然として立っている私に案内してくれた先生がおっしゃいました。
「ウヨンさん、ここまで上がってくるのは大変だったでしょ。何の跡形もない所、ここで生き残った私たちの同胞一世が、記憶して、探さなかったら、ここがまさにそういう所だということも全部、覆い隠されたはずです。日本はこの場所を跡形なく消してしまったのです。 それでも記憶する同胞がいたから…。一日中鉱山でつらい労働をして、ここで夜を過ごして、次の日また、一日中つらい労働をして、逃げることもできない位置ですよね、ここは…。あの下の日本人の宿舎からずっと上にあって、裏側はあまりにも険しいし」
日立には地元の産業の歴史を記録した展示館があります。私が訪問した日は休館日だったので見られませんでしたが、先生を通じて聞いた話では、展示館のどこにも「朝鮮人強制徴用」の跡はないということでした。 続けて訪問した平和台霊園という納骨公園も同じでした。
探せない朝鮮人強制徴用の跡
日立鉱山で死んでいった在日朝鮮人は、近隣の小さい火葬場で火葬されてその周辺に放りっぱなしになっていたのです。そうして放置された遺骨を、在日朝鮮人が協力してこの納骨公園に埋葬したそうです。日立鉱山で私たちが想像することもできない労役に苦しめられて、故郷や母を、父や兄弟を懐かみながら人生を終えた彼ら…。しかし「朝鮮人強制連行」という七文字は、日立鉱山の歴史の記録のどこにも見当たらないのです。
日本人たちが自発的に募金して建てた中国強制連行労働者追悼碑もその公園に立っていました。碑には日中友好之碑と彫られていて、その下に「強制連行中国人」という表現が明らかに刻まれていました。中国人に対する強制連行はそうして表示して、日本人自らが追悼碑まで建てているのに、なぜ「朝鮮人強制連行」という話はどこにも見あたらないのでしょう。このような事実に対してわが国は、なぜ歯がゆいほどに何の対応もできないのでしょうか。毎年秋夕(チュソク)になれば茨城県の同胞と朝鮮学校の子どもたちは、犠牲になった彼らのために、ここに集まって遺骨箱を心を込めて磨いて食べ物を準備し、供養します。 多分今年の秋夕もそうしたのでしょう。
こうして日本によって歴史からすっかり消された私たち民族なのです。 こうして文を書きながらぞっとするのは、「日本によって」という部分です。単にそのせいだけではないという事実を実感する昨今の現実のせいなのです。「私たちが自ら」も私たちの歴史を消しつつあるのではないでしょうか。
「月よ、高く上がって、私の魂を故郷にまけ」(「徴用アリラン」の中から)
二〇一五年九月、北海道強制労働犠牲者の遺骨一一五柱が七〇年ぶりに帰郷します。政府主導の行事でなく、日本と韓国の良心が準備した行事です。驚くほど自分たちを冷遇している故郷でもいつもなつかしい故郷、その故郷を忘れないでおけと学校をたてて子どもたちに韓国語と韓国の文字を教えながら戻る日を待った人々、それが在日朝鮮人です。 彼らが日本で堂々と生きて行けるように関心を持って力を集中すること、当然祖国が、私たちがしなければならないことではないでしょうか。
「気をつけてウリナラに帰ってね」
ウトロ村で、唯一生存しておられる一世のカン・ギョンナムさんが、涙ぐみながら「無限挑戦」チームに言った言葉に胸が痛んみます。(9・11)