朝青活動を日常化させたい 今は受け皿づくりの段階(朝青茨城・金才皓さん)
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インタビューを終えて
金淑子
茨城に行くたびにお世話になっている後輩がいる。今は産休中の先生に代わってハッキョで国語の臨時講師を勤めている。本業との兼ね合いで体力は持つのだろうかと心配しながら、今回も「セッピョル学園」の二、三日目取材期間(78~81頁参照)、ハッキョまでの行き帰りに同乗させてもらった。
朝青茨城のfbやブログがずっと気になっていた。二日目が終わってホテルに戻る車中で、茨城の朝青について彼女に尋ねると、朝大法学科出身で、朝青活動家になりたいのに、両親の反対で研究院に残って弁護士になるための勉強をしていた男性が委員長をしているという。「勉強がつらかったのかな?」と聞くと、「そうじゃないと思う、頭のいいトンムだから。本当に朝青活動家になりたかったみたい」と彼女。朝青活動家と弁護士、二つの職業を秤にかけて朝青活動家を選ぶ? これは話を聞くしかない。ホテルについて一一時過ぎに朝青茨城にメッセンジャーで取材依頼をすると、一二時過ぎに「午前中ならOK」の答え、思わず「やったー!」と叫んでいた。こうして慌ただしく決まったインタビューだった。
ハッキョで会った彼は格闘家のような印象だった。緊張しているという。その割に話はおもしろくて、インタビューしながら私はずっと笑っていた。
中二の頃、朝鮮代表としてサッカー国際試合への参加が決まった時、焼き肉屋を借り切って祝ってくれた朝青サッカーのメンバーたち。在日朝鮮少年芸術団として立った舞台にマイクが一本もなく、背後にマイクを前にした五百人のウリナラ合唱団が控えていた話、物もらいができてサングラスで過ごしたウリナラ訪問期間、見学先で子どもたちに「ヤンキーだ、ヤンキーだ」とはやし立てられ、病院で塩水を噴射された話。目の前で起こっていることへの適度な距離感が感じられ、まなざしの温かさを感じた。そんなまなざしで茨城の同胞社会を見てきて、活動家を夢見るようになったのだろうか。
親の意向にしたがって、日本の大学を受験して合格するけれども朝大進学を強行し、法科大学院にも合格しておきながら入学を拒否する。弁護士になれそうなのにそれを拒否する息子に両親はどれほど苛立ったことだろう。それが嫌ならせめて安定した収入を見込める就職口でも、と親世代は思う。総連の中でも、不安定な基本組織の活動家はないだろうと。そんな思いは、同胞社会の現住所を物語るものでもある。彼はそういう危機的環境を変えたいと思っているのだ。
「環境の中で生きるのではなく、環境を変える人になれ」と言う恩師の言葉、それは彼だけでなく、私たちに投げかけられた言葉なのかもしれない。ウリハッキョや在日朝鮮人コミュニティーは、日本政府の思惑通り無くなっていいのだろうか、朝鮮人であることを隠した方が有利な現状を受け入れることが本当に幸せなのだろうか、私たちは本当にそれでいいのか、今一度考えるべき時だと思う。若い活動家のインタビューは、いつもそんな問いを、同世代とともに既成世代にも投げかけている。
インタビューの中で「組織建設と思想建設」という言葉が印象的だった。まずはハードを作ってソフトを充実させていく。朝大で学んだことだと言う。活動は理論的で合理的なようだ。同胞たちが望んでいることに耳を傾けてまずその受け皿を設けて稼働する。その過程で内容を充実させて同胞たちの満足を創造していく。そんな積み重ねで同胞社会を活性化する。「同胞たちと会えば課題は見えてくる」という先輩活動家の教えに基づいて、時代に合った方法で奔走する彼のような若い世代を、「若いうちだけだ」と軽んじるのか、他人事のように無関係を装うのか、既成世代の対応が問われている。56
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