平壌から「今」を伝える #第38信(2019.3.10他)公園で婚活?!
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金圭蘭:第39信(2019・3・10/他)
整理者:筆者の金圭蘭[東京朝鮮第三初級学校18期・東京朝鮮中高級学校21期卒業生]は、編者・金日宇の妹である。朝鮮大学校の工学部機械科に在学中の1972年春に帰国した。
長年住み慣れたアパートの建て替えのため、仮住まいで長女夫婦と一緒に暮らしている。近く、新築のアパートへ転居するようだ。
原文は大方日本語で、一部単語は朝鮮語。書き手のニュアンスをそのまま伝えるため、誤字、脱字だけを直した。文中[ ]内と注釈は、整理者が付けくわえた。 (「記録する会」 キム・イルウ)
■平壌発3月10日発(消印)
イルウオッパ[日宇兄さん]、スッチャオルケ[淑子姉さん]アンニョンハシムニカ。
寒さも徐々に遠のき、万物が蘇生する春が来ました。今年の冬は特別に寒い日もなく、平穏に過ごしました。
昨年は一二月に雪が三度、今年に入ってからは二度、それでも寒さが苦手な私は冬眠の日々でした。
みんな元気にしています。
三月一一日オッパのお誕生日が迫っています。おめでとう。
オモニも元気ですか? 寒い冬が過ぎ、暑い夏が来ると思うと心配です。いつまでも健康で。
◎公園で婚活?!
楽しい日課? 二月一九日までの孫たちの冬休みも終わり、子守りからの解放された自由の楽しみは…。
天候もいい(平年より五~六℃気温が高い。一二~一五℃位まで上がっています)、同級生からの電話です。
友・「うちの娘、早く結婚させなきゃ…今年でもう〇〇才になるのよ」
私・「まだ、相手いないの?」
どこに行こうか考えた末に、サンフン公園に行くことにしました。
二月二六日、火曜日。人でいっぱい。女性を探す人、男性を探す人―最近は、仲人より本人のアボジやオモニ、祖父母、兄、姉たちが相手探しです。
三一才~四〇才のひとり者、それ以上のやもめ、二九才~三六才の独身女性…いろいろです。いたたまれず、「もしかしたら…」と、出てくるようです。それに空き家を探す人、同居人を探す人、内職を探す人たちもです。
サンフン公園は、西城区域、琵琶橋の左右にも公園があり、そこを行ったり来たりしながら…。
老人たちは健康のために公園に出てきて、運動器具にぶら下がったり、座ったり、走ったり、歩いたり…。電動アシスト付きの自動車に乗って遊んでいる子どもたち、ローラースケートに興じる小学生の姿も。
この日は収穫なし。
三つの公園をひと回りしながら、パン屋さんで揚げパンを一つずつ食べながら家に戻りました。
三月一日、二度目のお出かけです。
今日は、まず牡丹峰区域方面のピパ公園に。天候も良く、この日も公園は多くの人でにぎわっていました。
「独身の…」、「娘さんは?」。
たしかあの人、この前の日にも出てきていたよねと言いながら、ブラブラ…。
婚期を逃した娘さんたちが多いようです。
「今まで何していたの…」
入党するために、学位を取るため、一年頑張り、二年頑張りしてて…。
誘われた友達の娘も金日成綜合大学の政治経済学部を卒業して、修士、党員になり、クムソン政治大学の教員に…。教員と言うと、嫌がる人が多いようです。
とにかく、なんだかんだと…。一〇年前にアボジを亡くしたオモニとしては心配です。今日は手提げ袋に入れられた二か月の子犬もお見合いに来ていました。公園で人気者になっていました。大勢の人に囲まれていました。何人かと電話番号の交換をしていました。
私たちにも「長男の友だちがまだ…」って言って話しかけてきました。
- 医大卒の医者
- 教員をしている女性を望んでいる
- 家はオモニと二人暮らし
と、言いながら、電話番号を交換しました。
どうなるかな? この日もパンを食べて家に帰ることにしました。今日は、彼女がペットボトルにコーヒーを入れてきました。
月曜日。彼女から電話がありません。
うまくいったのかな? ダメだったら今日も午後から出て行ってみようかな…。最後まで頑張ってみます。
彼女の娘さんは、今年五月で満三六才、難しいかな…。
キュラニへ
三月一〇日付の消印の手紙を二三日に受け取りました。
バースデーカードと公園での嫁さん、婿さん探しの話、楽しく読みました。そこでは結婚と言えば、職場や「おせっかいおばさん」の紹介だと思っていただけに、意外でした。
キュラニの三人の子どもたちはみないい連れ合いに巡り合えたようです。五人の孫にも恵まれ、やれやれですね。
歳を重ねると誕生日を祝う気にはなれません。それに、八年前のその日は「東日本大震災」。津波と福島第一原子力発電所事故により甚大な被害を出し、いまだ復興の道は険しいようです。
それでもオモニと三人で、焼き肉店に行きました。そこでも流行っている「自撮り」に挑戦してみましたが、約一名、顔が大きく映りすぎて、送るのはやめます。
「その日」は、こんなでした。
インターネットにアップした文を、そののまま送ります。
◇
その瞬間、白山にあった出版会館の五階、「統一評論」の事務所にいた。大きく揺れた。崔編集長と東京強制連行調査団の李事務局長と三人、動けない。しばらくしてビルの下に降りて行く。道路の向かい側に、出版会館で働くイルクンに交じって南副議長の姿が。
交通機関は全面ストップとの報、二時間すれば復帰するのではないかと、事務所に戻る。外が騒がしい。両側の歩道いっぱいに人、人、人の群れだ。
地震から二時間あまり経って、李事務局長と巣鴨方面に歩き出す。皆、ただ黙々と歩いている。足音だけが不気味に響いていた。信号で止ろうとしても、人波で道路に押し出されそうになる。牛丼屋さんに人があふれている。コンビニは閑散としている。棚に品物が並んでいない。
JRは復旧していない。巣鴨の駅周辺で李事務局長と別れ、商店街を抜けて都電の駅に向かう。駅には二〇人位の列。王子までさほど遠くはないが、歩く気力は失せている。王子まで行けばバスで赤羽に、遅い夕食には間に合う。その読みは甘かった。都電は走っているのだが、降りる人がいない。満員で乗れない。それでも一時間余り待ってようやく王子へ。バス停もタクシー乗り場も、近づけないほどの人で埋まっていた。
空腹、喉が渇く。冷え込む。トイレが心配で我慢。近道と思って、ひたすら住宅街を歩く。人影がない。世界から取り残された感じだ。
歩き始めて三時間余りして、ようやく家に着く。
「大丈夫だった?」
「何が?」
トイレにいてそれほどの揺れを感じなかったという、連れ合いの淡々とした返事。
テレビを見て、初めて津波と原発に曝された福島の惨状を知った。東京の揺れなど、なるほど「何が」だ。
◇
거기에 사는 가족분들 년초 가족사진과 년하장 잘 받았다。우리말로 쓰자니 좀 긴장한다。
성철씨、은하 잘 있겠지요。주원이도 주영이도 잘 컸다。
영순、은주 잘 있겠지요。
계영이와 계성이 엄마 닮아서 잘 생겼다。
계승이는 벌써 세살이구만。어머님도 잘 계시겠지요 。
영순이라 하면 대하와 함께 카레 생각이나는데
은주는 지하외에 무얼 좋아하겠는지。 편지 기다리겠다。
둘다 세대주 잘 잡아놓고 애들과 함께 잘 키우고 어붓한 가정 이루기 바란다。
そこで暮らすみんな、年初にそれぞれの家族写真と年賀状うれしかった。
ソンチョルさん、ウナ[キュラニの長女]元気にしていますか? チュウォニもチュヨンイも大きくなって。
ヨンスン[長男の嫁]、ウンジュ[次男の嫁]、元気ですよね。
ケヨンイとケソン[長男の子]、母親に似て可愛く育って、ケスンイ[次男の子]はもう三才に。
ヨンスニと言えば、テハと同じくカレー好き、ウンジュはチハ以外に何が好きなのか、手紙待ちます。
二人とも、世帯主の手綱を緩めず、仲のいい家庭を築いてください。
送ってくれた、「公園での婚活?」と、応援レターは55号で紹介することになります。引き続き送ってください。
年末に少し体調を崩し、年明けに胃の内視鏡の検査を、四月中旬には腸の検診、異常はないようです。。体調も戻り、地方にも出ています。心配するほどではないようです。
キュラニがバースデーカードに書いてきたように、ひたすら「健康、健康、健康に…」という言葉があっているようです。
ということで、また手紙書きます。そこで暮らす同級生から年賀状をもらいながら、長い手紙を書けずにいます。皆に会ったら元気にしていると伝えてください。
二〇一九年三月三〇日
兄、イルウが。
■3月15日付
オモニ、お元気ですか? 久しぶりにペンを取ります。
冬もそろそろ過ぎて、暖かい春が近づいてきました。
今、住んでいるところも大同江遊歩道 (前の家の川向こう)に散歩に行くと、ナズナがいっぱいで、ビニール袋につんでアパートの人と分けて食べます。ゆでて、油でいためて味噌味で食べたり、お味噌汁にして食べたり、春菜を味わっています。
ノビルとヨモギは大成山に行かなくては採れません。
元のアパートの人たちとは、よく大成山や万景台にまで、おにぎりを作って、摘みに行って、お米を出し合ってお餅を作って食べていたのですが、今はバラバラになってしまって…。ここのアパートの人とはそんなに親しくないので…。新しいアパートも今年の春に電気や上下水道の工事が終われば…。建設現場を通りながら、私たちの東京第三は…と思うととても楽しみです。
東京第三の新校舎建設も始まったようですね。新しい校舎に平壌のイチョウの木や朝鮮の木の松、それから花の種でも送れればいいなって、夢のようなことを思っています。
『風景』の53号に載った、四八年前に平壌を訪れた日本人の女性が持ち帰った銀杏を自宅で育て、横浜市内の公園に植えかえ、その平壌のイチョウの木が四〇年になるという話、コ・ミョンファ先生と読みながら私たちも銀杏を拾って…。そんなことを考えています。送ることは出来るのでしょうかね。
オモニ、新しい家に入ったら、また訪朝出来ればいいのに。また、逢える日が待ち遠しいです。
来週から孫たちは春休みです。
くれぐれもお元気で。
二〇一九・三・一五
圭子[圭蘭の幼名]より
◎3・8国際婦人デー
この日は、いつからどこで決定されたのか知りませんが…。とにかく帰国した後[一九七二年春]、三月八日が来ると、大学でも男子学生たちは女子学生を特別尊重していました。授業時間でも先生方(建建築工学部の先生たちはみな男性)も、「今日は3・8節だ」と強調していました。総連合宿所[単身で帰国した同胞子女用の寄宿舎]でも、この日だけは配膳当番を男子学生が担っていました。社会に出た後も、毎年、この日は職場でも、個別でも男性が女性たちを食堂に誘ったり、飴玉をくれたりしました。
三年ぐらい前から、カレンダーも赤字に変わりました。学生・生徒たちは担任が女性だと、花束を贈ったり、お菓子などをプレゼントしたりしています。
家庭でもそうです。
今年は朝九時頃、テハ[長男]から電話。「オモニ、姉さん、3・8節をお祝いします」って。「昨日は、学校に泊まり込みだったので、今から家に戻って、朝食の準備をする」とのことです。
うちでも婿が朝から食事の支度。昨晩から鶏肉を大きな釜で煮込み…ブドウ酒で乾杯をして美味しい朝食を。一一時ごろから昼食の準備。前日、人民班の班長からアパートの窓枠を白く塗りなさいと言われていたので、午後までペンキ塗り、そしてチュヨンイを幼稚園まで迎えに行って…夕食は麺に。残った鶏のスープにゆで卵、キュウリの味噌和え、美味しくいただきました。三時のおやつはヨンスニ[長男の嫁]からのケーキを食べて、一日本当に「名節」でした。
夜の九時過ぎにチハ[次男]から電話、「今ようやく解放されました…」って。
三月八日の婦人デーは、女性にとっては一年の中で一番良い「名節」ですね。
チュヨンイが通っている幼稚園でも国際婦人デー。七日にチュヨンイを連れて行きながら、先生方にシャンプーとリンをセットにしてプレゼントして、チュウォニの学校の先生にはお祝いカードと手鏡(独身の女性たちの間で流行っています)、とても喜ばれました。
教員のテハも前日に学校長と分科長に何を贈ろうか苦心していました。
ホヨントンム[キュラニの亡夫]も3・8節にはカードをくれたり…。二〇〇三年だったか? 家に帰ってきたらすぐ台所へ。テハとチハと三人で、「オモニ、姉さん、今日は何もしないで座っていて…」と。八時になっても、九時になってもおとさたなし…。そっとトイレに行くふりをして台所を覗いたら、三人で何かしているようでしただが…。
ウナ[長女]と私は「自分達だけで食べているのでは?」、「一二時過ぎるのを待っているのかしら…」と、二人で大笑い。九時半になってやっと「できたぞー」の声、何を作ったのか楽しみに行くと、テーブルにあがったのは五センチぐらいの厚い卵焼きが一品だけ、何だ…。お腹がすいていたこともあって、美味しく食べました。
三月八日は楽しい思い出がいっぱいです。
今年の七日の朝、ウナがハダン市場に行ってきました。平壌市内の市場はみんな午後二時から六時まで、職場に通う人はとても行きづらい時間ですが、ハダン市場は朝五時から二時間、午後二時から六時まで、早起きすれば、職場の出退勤時に寄っていけます。
案の定、この日の市場は男性が大勢来ていたようです。三月八日は休みです。
女性にプレゼントしようと、下着とかセーターなどの売り台の前を行ったり来たりしていたようです。オーバーとか、ジャンバーは体にきちんと合わなくてだめだというので、下着が多いようです。それからアヒルとか鶏肉も…。夫婦で来るより、男性一人客が多かったようです。
三月八日のバス停での出来事。
前の方に頬をチョツト赤くした男性が五~六人。どこかで楽しく? 過ごしてきたようです。その後ろに七~八人の女性が並んでいました。バスが見えてくると、誰かからプレゼントされたのでしょう、セロファン紙に包まれた赤いカーネーションを持った五十前後の女性、彼女もどこかで飲んできたようです。バスが止まって、二~三人が下りると、その女性は乗車口の前で一言。「今日は3・8婦人デーです。男性は女性たちを先にバスに乗せましょう」と、すると男性たちも「そうしましょう」と、女性たちに順番を譲りました。バスに乗ると、「今日は3・8婦人デーですから、男性たちはバス券を出しましょう」。男性たちは笑いながら「私は三枚出します」、「私は余分のバス券がありません」と一〇ウォンを、バス券二枚分です。バスの中は笑いがいっぱい、席に座っていた男性たちは立ち上がりながら「今日は女性たちに」と席を譲っていました。面識もない人たちでしたが、みんな楽しいひと時を。そして次の停留所でも…。
3・8婦人デー万歳です。
食堂も、外食を楽しむ家族でにぎわったようです。
翌九日は出勤しても前日の話でもちきりだったとか。
「うちでは男性が三食みんな…」
「うちは日直だと言ってプレゼントだけおいて出かけて…夜遅く戻ってきた」
「うちは何かしようか…言葉ばかり」
「来年は、3・8節がないカレンダーを買わなくては」との声も。
それなりにみんな楽しく過ごしたようです。(3・15)55
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