ハッキョ中心にした豊かな静岡同胞社会を目指して(朝青静岡・宋一さん)
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中心はハッキョ支援
一口運動や合同行事
金今期一番力を入れようと思っていることは?
宋学校支援活動です。
金具体的には?
宋今、ハッキョの在校生は一七人で、財政的にも厳しい状況にあります。朝青では二月から「今日から朝青は!!」というハッキョサラン(愛校)プロジェクトを繰り広げていて、一口千円運動で、今年一〇月二七日の学校創立55周年まで百口集めることを目標に寄付を募りながら、愛校活動をいろいろ繰り広げています。その一環で六月一五日に少年団(初級部四年~中級部三年)と交流企画や昼食づくりなど合同行事をする予定です。前期から「サランの本運動」と言って図書室に、読み終わった本を寄付したり、古い本を売って新しい本を寄贈したりしています。
金朝青員たちがハッキョに行く機会は多いのでしょうか?
宋何か行事のある時には必ず集まります。それだけではなくてもっと身近になるためにひと月に一度はハッキョに集まろうということで、その第一弾が六月の合同行事です。
五年前の学校創立50周年には朝青がチャリティータオルを売って収益金を寄付したり、焼き芋づくりを児童生徒たちと一緒にしたり、朝青員のスポーツ大会をハッキョでして、そこで使った運動器具をハッキョに寄贈したり、というような活動はこれまでもしてきたのですが、このプロジェクトでは今回が第一回です。
金委員長が生徒だったころ、静岡初中の生徒数はどれくらいでしたか?
宋初級部に入学した時には八十人近くいましたが、中級部を卒業する時には、三十七人でした。
金楽しかったですか?
宋ハッキョは当たり前の存在でした。今、生徒が十七人しかいなくて、学校の存続を危ぶむ声もでているのですが、自分たちが当たり前に過ごした日常が無くなるのは考えられないです。
金初級、中級、高級、大学の十六年間でどの時期が一番楽しかったですか?
宋それは大学です。楽しかったです。同級生が三一人いたのですが、彼らと出会えて本当に良かったです。高級部は単純に楽しかったのですが、大学では人生について互いに腹を割って、深い話もしながら過ごしました。本当の兄弟のような関係ができました。卒業した時は寂しさがこみ上げたりして。三分の二が組織に出て、今七人が朝青活動家をしています。ライングループでつながっているのですが、悩みを打ち明けるわけでもなく、たわいもない話をしているだけなのに、弱音は吐けないなと、元気をもらって、頑張ろうと思えます。
金静岡の場合は、高級部に進むと愛知で寮生活をすることになるので、この時点で地元の日本の高校を選ぶ生徒がいる。さらに最近では高校受験をするなら中学校から日本の学校で学ぶ方が有利ではないかと、中学校から日本の学校に行ってしまう傾向があるという話を聞きました。
宋僕たちの時代もそういう生徒はいましたが、多くはありませんでした。静岡のような小規模な学校の生徒にとって朝高は大きな存在で、そこに入ることが憧れでした。そんな感情が今は薄れているようです。僕の同級生は五人でしたが、三人が愛知朝高に、一人が東京朝高に、一人が日本の高校に行きました。東京朝高に進んだトンムは今、朝鮮新報社で記者をしています。
金流れが変わったのはいつ頃からでしょうか?
宋僕たちの年代にも日本の学校に行った同級生はいましたが、中学まではウリハッキョに通うのが当たり前だと思っていました。中学校から日本の学校に行ってしまう生徒はいたましたが、流れというほどではありませんでした。ところが僕が大学を卒業して戻ってくると、そんな風潮ができていました。
金現在中級部は何人ですか?
宋男子二人と女子一人の三人です。
転換期迎えた
少年団活動
金そういう流れを考えると、初級部高学年から始まる少年団活動はますます重要ですね。
宋少年団活動は、集団主義精神を育てることが目的ですが、学校や同胞社会を大切に思う気持ちを育てる場でもあります。生徒たちに接しながら、今までのやり方ではダメかなと考えています。今の生徒たちは私たちの頃とは比べ物にならないほど多くの情報に接しています。そんな情報の山から彼らが自ら選んで受け入れるようにするために、より具体的な内容を示していかなくてはいけないと思っています。
金かつて学校では「~しなさい」というと「わかりました」という答えが返ってくるというのが当たり前の風景でしたが、今の生徒たちには自ら考えて選択して、自分の力で消化していくことが求められているのでしょうね。そのための力を育むのが学校の役割になっている。生徒だけではなく、同胞社会もそうなのではないかと思うのですが、朝青活動でもそんな変化は感じませんか?
宋そうですね。朝青活動で大きな時代の変化を感じることはありませんが、同胞社会に対する愛着が薄れているというのは実感しています。ウリハッキョ卒業生でも子どもをウリハッキョに送るかどうか、悩んでいる同胞が多いのが実情です。
金どうして薄らいでいるのでしょうか?
宋どうしてなのでしょうかね。朝青や総連が無くても生きていけるし、自分の生活を維持するためにはまず仕事が大切じゃないですか。仕事に追われる忙しい日常に、朝青活動や同胞社会が織り込まれていない。それを織り込むことの大切さを同胞たちは感じていないし、僕たちも示せないでいる。
金かつては「総連組織があってよかった」「やっぱり同胞社会は大切だな」と実感するシーンがあったけど、最近はどうなのでしょう?そういうアピールが必要ではないかと思うのですが。
宋去年、一年以上準備して「エジョンフェスタ」をやったときは、やはりこういう同胞社会を築いていきたい、こういう同胞社会があるからもっと頑張らなくてはと思ったのですが、日常に戻るともとに戻ってしまって。
金そのギャップをどうして克服するのか、難しいですね。同胞を訪ねて回りながら辛い思いをすることも多いと思うのですが、そういう時はどうするのですか?
宋僕は車の中でウリノレ(朝鮮や在日朝鮮人の歌)を聞いて紛らわします。「絶対来ないで」とか「チラシをポストに入れられて迷惑だ」とか言われることもあって、寂しいなと思うし、そこまで言わせてしまう日本社会の圧力というか生きづらさというか、そんなことを考えてしまいます。
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