各地を回り出会う同志たち 変わらない「祖国、同胞のため」(商工連会長・朴忠佑さん)
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インタビューを終えて
金淑子
前号に続き、朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮)の配慮の下、総連を中心に繰り広げてきた在日朝鮮人運動の歩みをたどる第二弾。一九八一年に、在日朝鮮青年学生祝賀団(朝青)代表団の団長として社会主義労働者青年同盟(社労青)第七次大会に参加し、金日成主席と金正日総書記の間に座って記念写真を撮った朴忠祐商工連会長をインタビューした。四月初に東京・中野の事務所で話を聞いた。
初級部の頃の寄せ書きに「愛国者」と書き、総連の活動家になろうと朝鮮大学校政治経済学部に進み、活動家として一五年勤めた後に、兄の急逝で家業を継いだ。「辞めなくてはいけなくなったときも寂しいとか、生き方が変わったとかは思わなかった。そのまま祖国と民族のために商工人として頑張ればいいんだと、すぐに切り替えた。何も活動家だけがそのための仕事ではないと。祖国と同胞社会のためにという意味では活動家であろうが、商工人であろうが同じ道だということだよ」。同級生によるとこの時、「六〇歳になったら、必ず(活動家の道に)戻ってくるからと」と言っていたという。話を聞きながら、在日朝鮮人運動への変わらない一途な志が伝わってきた。
その志を支えているのが、貧しかった時代に皆がうらやむ校舎を建てた東京朝鮮第一初中級学校の同胞たち、出張先で「朝青中央からきた」というと背広に着替えて出てきたお年寄り、出張を終えて帰る日にその場で集金の不足分の小切手を切ってくれた先輩活動家、そして何よりも「尊敬してやまない金日成主席と金正日総書記が、よく来たと歓迎してくれて、頑張っていると立ててくれて、かわいがってくれて、頑張れと励ましてくれ」たこと。「それはやはり重いよね。しっかり受け止めました」という言葉が潔く心に響いた。
故郷の人々と朴会長をつなげて逝ったオモニ・一世の故郷への思い、最高人民会議の代議員に選出したウリナラの朴会長・在日朝鮮人への信頼。統一の扉が開かれようというこの時期に、この二つをつなげるために私たちに何ができるのか、それは朴会長だけでない、私たち在日朝鮮人の課題だ。統一は親日派との闘いであり、私たちには日本政府の同化政策との闘いだ。韓国での親日派との闘いは激化しており、日本政府の私たちへの弾圧はいつにも増して厳しくなっている。こういうときだからこそ、今一度在日朝鮮人運動の歩みを振り返り、ウリナラ、総連、ウリハッキョの三つの関係をしっかり捉えて足下を固めることが大切なのだと改めて思った。55
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