各地を回り出会う同志たち 変わらない「祖国、同胞のため」(商工連会長・朴忠佑さん)
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切り離せない朝鮮、
総連、民族教育
金朝大卒業後は?
朴一九七二年に卒業して朝大に残った。当時は研究院が無くて、科学研究部に一年いて、そのあと朝青朝大委員会。五年いて、朝青中央に行って、八一年まで国際部長、そのあと副委員長で国際部と財政部を担当した。この時に金を集めるために全国を回って、たくさん勉強させてもらった。
金どういう勉強ですか?
朴例えば仙台に行った時に、「朝青中央からきた」というと、背広に着替えて出てきたお年寄りがいたよな。そういう時代だったんだろうな。高知で「いくら集金する予定か?」と聞かれて「○○万円くらいを予定しています」と言うと「わかった」と言って、帰る前に会おうというんだよね。それで帰る前に会うと「いくら集められた?」と聞かれて「○○万円」と答えると、足りない額面の小切手をそこで切ってくれるわけ。そういう人もいたし、若造に四時間くらいいろんな話をしてくれる人もいた。今の自分にはとてもできないことだよな。立派な人が多かった。若い人を大事にしてくれた。
金その後、総連中央の国際部に行ったんですか?
朴八三年だったかな? 四年間くらいいたね。すぐ上の兄が三九歳で亡くなるまで。その四年後に長男が亡くなって、五年後にアボジが亡くなったの。家族に男が四人いたのに、十年の間に一人になってしまって。
金じゃあ。次男の方が亡くなられた時に家の仕事をすることにしたんですか。
朴そう。
金学生時代に夢はあったのですか?
朝大創立60周年記念会場で(2016・5)朴学生時代から活動家になろうと思っていた。そのために政治経済学部に行ったし。辞めなくてはいけなくなったときも寂しいとか、生き方が変わったとかは思わなかった。そのまま祖国と民族のために商工人として頑張ればいいんだと、すぐに切り替えた。何も活動家だけがそのための仕事ではないと。祖国と同胞社会のためにという意味では活動家であろうが、商工人であろうが同じ道だということだよ。
金在日朝鮮人の次世代に受け継いでほしいものは何ですか?
朴祖国愛と民族愛、そして同胞社会、これを財産にしてほしい。でもそれが難しいのも現実。そんな中で頑張らなくてはいけないし、頑張っているよね。
金民族教育は守るべきでしょうか?
朴解放直後に、子どもたちに朝鮮語を教えなくてはということで寺小屋みたいな国語講習所で始まって、朝聯、民戦、総連を経る中で、一貫して中心にあったのは民族教育。民族権利擁護で、常にその中心は民族教育だった。特に金日成主席が一九五七年に教育援助費と奨学金を送ってきてくれたこと、これはもう圧倒的に民族教育を発展させるきっかけになったし、有形無形の力の原点になった。総連は、韓徳銖議長をはじめとして民族教育に格別の情熱を持ってね、お金も政策も人材もすべてをつぎ込んできた。ウリナラ、総連、民族教育、切り離すに切り離せない関係にある。在日朝鮮人運動の中心だから、教育は。守るべきでしょ。そういう志を持った人たちが集うところなのだから。
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