各地を回り出会う同志たち 変わらない「祖国、同胞のため」(商工連会長・朴忠佑さん)
スポンサードリンク
初級部の頃から
心の中心に「祖国」
金祖国と言われて思い浮かぶことは?
朴初級部六年の時、大きな画用紙の寄せ書きに、「愛国者」と書いたんだよね。卒業アルバムに残っているんだけど。小学校の時すでにそう思っていた。川崎のハッキョに入学して、その年の秋に東京第一初中級に転校したんだけど、世界観が確立したのは高級部のころかな。その時には朝大に行こうと思っていたからね。ずっと中心にあったのは「祖国」だね。
金当時は、行き来できなかったですよね。
朴うん、見たこともない漠然とした祖国だけど、祖国と民族のために何ができるのか、そのために生きるというのが人生の拠り所。日本人になろうとか、日本人がうらやましいと思ったこともないし。
金初級部の頃に覚えていることは?
朴一クラス四五人くらいで四クラス、初級部一年から中級部三年まで九学年あったから、全校生が千五百人くらいいた。クラスにジャイアンがいたの。暴力的で、大きくて、ワルというか、理不尽なことを言うわけ。四年、五年、六年の時に三回けんかした。二勝一敗だったな。
金当時同胞たちは貧しかったですよね。
朴貧しかった。でも第一初中の同胞たちはすごかったよ。校舎を新設してね、三階とか四階建てに。中級部の時は、修学旅行で東京に来た地方のウリハッキョの生徒たちが、第一初中を見に来たの。そこでバスケットとか、バレーボールの試合をしたりして。
金同胞たちの学校に対する思いが熱かったんですね。
朴小学校六年の頃、担任の先生の結婚式に行ったね。広島出身で、師範科を卒業したリ・キョンジャ先生。王子会館だったかな。みんなでお金集めてトースターをプレゼントして。一、二年前に、同級生七人で集まって、上野でその先生の八十才の誕生日祝いをした、プレゼントも準備して。そしたら先生が一人に五千円ずつ封筒に入れてお小遣いをくれたよ。
金高校はどうでしたか?
朴高三の時が一番楽しかったね。毎日自分が変わっていくのが分かった。好きな女の子もできるし。本当に青春だったね。大学の時はきつかった。ちょうど締め付けのきつい時でね、イルウ(金日宇)といつも悩んでいたよ。一年の時に、それまで寮の部屋でとっていた日本の新聞を切られて、思想統制かと思って、二人で文句を言いに行ったんだよな。そしたら集めた新聞代がなくなる事件があったから、これからは図書館で読めって言われて、拍子抜けしたことがある。でもそんなことも、締め付けじゃないかと思うような日常だったね。
スポンサードリンク