同胞たちがこぞって一歩前に踏み出せる歌を(朝大研究院予科・宋知香さん)
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離散家族再会の映像に
「こんなんじゃだめだ」
金若い世代をインタビューしていると、ウリナラには親近感を感じるけれど、南には無関心なケースが多いように思いますが。
宋もちろんウリナラがウリハッキョや同胞をずっと支援してくれた歴史が、すべての土台になっていると思います。その土台があるからウリナラで会った人たちと日本で会った南の人たちがつながる統一への思いが切実なのだと思います。
金統一について考えるようになったのはいつ頃?
宋かなり幼いころでした。両親が総連の活動家をしているので、幼いころから統一に関する話を聞いていました。真剣に考えるようになったのは中級部の頃からだと思います。初級部の頃からインターネットを使うようになって、「アフガニスタン」や「貧困」なんかを検索していたのですが、初めて歴史の教科書で6・15南北共同宣言について学んで、興味を持つようになって、いろいろネット検索をしました。すると離散家族の再会や別れの映像が出てきて、ショックを受けました。涙しながら「こんなんじゃだめだ」と思ったのを今も覚えています。
金初級部や中級部の頃にネット上で朝鮮人に対するヘイトスピーチにたくさん接して、落ち込んで、自分の存在について悩んだという話を聞きますが、そんなことはありませんでしたか?
宋そういうサイトにもよく行きました。でもそれはそれで、引き込まれて自分の存在について悩んだりすることはありませんでした。こういう現実を何とかしなくちゃいけないんだろうなとは思いましたが。
金検索は、主に日本語で?
宋いえ、日本語と朝鮮語の両方で。
金朝鮮語を打ったり、朝鮮語の記事を読んだりするのは難しくなかったですか?
宋始めは打つのも遅くて、読むのも難しかったです。最初の頃は朝鮮語で検索して、映像をよく見ていました。
金高級部の生活は楽しかったですか?
宋楽しかったです。クラスやクラブで過ごす毎日が楽しかったし、音楽の授業は楽しみでした。
金中三まで、ピアノを習ったり、吹奏楽部でトランペット吹いたり、音楽にどっぷりつかりながら、高級部に入って辞めたのは音楽が嫌だからというわけではなかったのですね。
宋嫌というわけではありません。ピアノは嫌々やっていた時もありましたが、クラブ活動は毎日、楽しかったです。高級部二年から選択科目で音楽をとったのですが、やはり楽しいなと改めて思いました。音楽がつなげてくれる人とのつながりもあって。
金朝大生活は?
宋朝大に入ってよかったと思いました。音楽科はもちろん、ほかの学部の同級生ともいい関係を築けました。朝大に来なかったら、こういう友達には出会えなかったのだろうなと、本当に朝大に来てよかった、と何度も思いました。寄宿舎生活も結構楽しんでいました。音楽科の場合は、ピアノ練習場という一人のスペースもあるので。みんなでいいクラスにしようと悩んだことはありましたが、一人で悩むことはありませんでしたね。二年間国際統一部を担当して、「朝鮮新報」を皆で読むときに解説したり、質問に答えたりするために、検索したり、時には両親に聞いてみたりしていろいろ準備をするのですが、その過程で学んだことが多かったです。同級生たちも卒業するころには「朝鮮新報」を、興味を持って読んでいました。今は、朝大研究院で先輩たちから学んでいます。
金軽音楽団は?
宋軽音楽団で歌をうたうのは本当に楽しかったです。学内で年に二回、小公演と本公演をします。それ以外に学園祭や朝大を訪ねてきた人の前で公演したり、ウリハッキョや同胞のイベントに呼ばれて公演したり。
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