同胞たちがこぞって一歩前に踏み出せる歌を(朝大研究院予科・宋知香さん)
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朝鮮での出会い機に
朝大・音楽科へ
金ピアノは?
宋四歳の頃から中級部三年まで習っていました。
金じゃあ、高級部の三年間は音楽から完全に離れていたんですね。
宋そうです。でも卒業後は日本の音大に行こうと思っていました。二〇一二年に東京で行われたモンダンヨンピルコンサートをみて感動して、下の世代にもこんな感動を味合わせてあげたいと思いました。それでコンサートの企画やマネージングにかかわる仕事をしたくて、音楽ビジネスコースのある大学に進もうと思っていました。
金どうして朝鮮大学校音楽科に行くことになったのですか?
宋高級部三年の修学旅行でウリナラに行ったときに、テドクサン(大徳山)哨所で、同級生たちと公演した時にピアノ伴奏をしました。そのあと、グループに分かれて懇談会をして、別れ際に、ほかのグループの兵士の方が駆け寄ってきて「これからもピアノを続けてください。いつかまた君がピアノを弾く姿をウリナラのテレビでみられたらと思う」と手を握りながらいってくれたのです。すごくありがたくて、印象的でした。その前に女性兵士たちとの交流会があったのですが、そこで私のパートナーになった兵士は、本来は音楽教師になりたかったけれど、国を守るために兵士になって、来年から音楽大学に行って教師になるための勉強をするという女性で、「じゃあ、一緒に音楽の勉強頑張ろうね」と約束をしていました。
そんな出会いがあった後「愛国烈士陵」で大叔父の厳菊地(金剛山歌劇団の独唱歌手)の墓を見て、大叔父に関するガイドの解説を聞きながら、歌や音楽で皆に愛された人が自分の身近にいたことが誇らしくて、うれしくて。見学を終えて、生徒を代表してガイドの方に挨拶することになったのですが、そんな流れもあって「朝鮮大学校音楽科に行って、立派な人になります」と、ポロっと言っちゃったんです。それがきっかけになって真剣に朝大への進学を考えるようになりました。
ウリナラに行く前に朝大のオープンキャンパスに行ったのですが、その時観た演劇で、人びとを奮い立たせるシーンで歌ったロ・ファスン先輩の姿がすごくかっこよくて。演劇の後、もう一度舞台に出て「ウリルル ポシラ」を歌ったのですが、聞きながら涙が止まりませんでした。「ウリルル ポシラ」は、中級部の頃に、朝大生だった兄が持ってきた朝大軽音楽団のCDで初めて聞いて、いい歌だなと思っていたのですが、この時はさらに感動的で。これが、自分が目指す音楽活動の理想だなと、朝大音楽科もいいなと思ったのがパターンにあったのだと思います。朝大に行ったら軽音楽団に入ると決めていたので、寮に入った初日から練習してオーディションに備えました。落ちたら朝大を辞めようかとも思っていました。(笑)
金ウリナラは高三の時が始めてだったのですか?
宋初級部六年のときに迎春公演で行きました。舞踊をしました。この時に姉妹校のトンムと仲良くなりました。その子のオモニが、私たちが滞在していた平壌ホテルに勤めていたので、オモニを訪ねてきたときに会う機会が何度も会って。大学二年でウリナラに行った時に彼女と再会しました。うれしかったです。経済大学に通っていると言っていました。平壌ホテルの食堂の個室で好きなものを食べながら二人きりで「太った」とか、その間どう過ごしたのかとか、どんな勉強をしているのかとか、たわいのない話をして、携帯の写真を見せ合ったりしながら過ごしました。
金祖国と言われて思い浮かぶのは、その友だち?
宋その子もそうだし、交流した兵士たちもそうだし、かわいがってくれた平壌ホテルの書籍コーナーの女性もそうだし、ウリナラで出会った人たちが思い浮かびます。
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