1989平壌祭典から30年・今も走る「朝青愛国号」
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今から三〇年前、平壌で「第13回世界青年学生祭典」(7・1~8)が開催された。一七七か国から二万二千人、南から全国大学生代表協議会(全大協)が代表として林秀卿さんを派遣、日本からは韓徳銖中央議長をはじめ、青年学生代表、女性同盟と青年商工人による対外奉仕団、記者団、参観団など、三千余人が参加しイベントを盛り上げた。そのとき、全国各地の青年学生たちが「一〇〇円貯蓄運動」などを粘り強くくり広げ、大型観光バス「朝青愛国号」を贈った。
あれから三〇年―。「朝青愛国号」の何台かは、今も朝高の修学旅行生、海外からの代表団、訪問団を乗せ平壌市内を走っている。二年前の夏、妙香山に行くとき、東京朝高の修学旅行生を乗せた「朝青愛国号」に便乗させてもらった。
運転手は「走行距離は地球の十何周…まだまだ現役で行ける」と、次のように語っていた。
「ボディに書かれた『朝青愛国号』の五文字と共に、一日でも長く走らせなければなりません。在日青年学生の気高い精神を祖国の人びとに伝えるためにも…」。
「朝青愛国号」の三〇年を追ってみた
もくじ
1989年6月23日-「朝青愛国号」横浜港で船積み
朝青中央が全国に呼び掛けた大型観光バス「朝青愛国号」と、朝銀大阪、千葉の朝青員たちによる大型バスと乗用車が8日、「ナムガン」号便で社会主義祖国に向け、横浜港から出港した。
この大型バスと乗用車は、平壌祭典の開催国の海外青年として第13回世界青年学生祭典に貢献したという在日朝鮮青年学生たちの熱い気持ちの結実、在日朝鮮人運動と共に伝えられるであろう。
朝青東京都本部をはじめ多くの単位で、長期間、粘り強くくり広げられた「100円貯蓄運動」、留学同と朝青東海商事支部をはじめ多くの支部で、祭典のマークを刻んだテレフォンカードを制作・販売し、朝青神川県本部ではチャリティーディナーショーを、朝青大阪府本部をはじめ多くの本部と支部ではゴルフコンペとバザーを積極的に組織した。
朝青佐賀県本部のコーヒー茶碗と皿、京都と東京などで制作したTシャツとトレーナー、朝銀千葉のゴルフボール販売など、各地の朝青組織と朝青員たちは創意を発揮、一方、多くの青年たちが1日労働奉仕、貯金の寄付など…。(「朝鮮新報」1989・6・9の抜粋)
*整理者・2点の写真から「朝青愛国号」の車種、ボディーカラー、デザインは統一されていなかったことがわかる。
6月21日-平壌で「愛国青年号」11台の贈呈式
「朝青愛国号」の寄贈式が、21日の午前、光復通りに新たに建設されたサーカス劇場前の広場で催さた。
ナンバープレートが付された「朝青愛国号」11台とその前に、担当運転手がそろいの制服を着て参加した。
カーナンバー「平壌92-589」の担当運転手のキム・テチャン運転手(41=運転歴20年)は、在日同胞が贈ってくれたバスの運転手に任命されたことは、家族の喜びであると。
関係者によると、「朝青愛国号」は外国人ゲストを乗せる予定だという。
寄贈式終了後、「朝青愛国号」は列をなし、光復通りを走り去っていった。(「朝鮮新報」6・23の要約)
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2015年-朝青員の気高い祖国愛に米国同胞も感嘆
CJ Kang・シアトル在住
ソウル発「nkトゥデイ」(2015・11・12)に掲載された訪北記(要約)
私が滞在した平壌ホテルの駐車場にいつも何台ものバスが駐車していた。バスのボディーに「朝青愛国号」と書かれたバスになぜか目が留まった。ふと二五年前、平壌祝典の時、毎日のようにこのバスに乗った記憶がよみがえった。
バスのドアが開いているので、出入口の階段を上がってみる。あれから二五年、それでもしっかりと整備されているようだ。前方の側面のウィンドウ上部に、次のような言葉が刻まれた薄い銅版が付いていた。
「第13回世界青年学生祝典に際して在日朝鮮青年学生たちの愛国の志で贈った「朝青愛国号」 在日朝鮮青年同盟 一九八九年七月」
一九八九年平壌祝典当時、瑞山ホテルに泊まっていた私たち二〇人余りの在米同胞は毎日のように、このバスを利用した。平壌市内だけでなく、サンウォンセメント工場、青山里協同農場、南浦閘門、そして元山と金剛山にもこのバスを利用した。
最近、ある在日同胞から、当時大学生として、心を一つにして募金活動に協力し、平壌祝典にも参加したという話を聞いた。
在日同胞青年学生たちの祖国を愛する、その貴い心を、私は二五年が過ぎた今でもしっかりと整備されて運行されている「朝青愛国号」を眺め、今一度感じることができた。北部祖国が解放後、朝鮮学校をはじめ在日同胞に注いだたくさんの愛に、彼らは祖国に報いようと決心したのだ。
あの時から二五年が過ぎた今でも、北部祖国を訪れる生徒・学生たちが利用している。当時、生まれていなかった新しい世代、青年学生たちはバスを乗り降りするたびに、彼らの両親たち年齢になった、先輩青年学生たちの祖国を愛した、その気高い精神を記憶し、受け継いで行くのであろう。
2016年夏―「朝青愛国号」は「走る教室」
ユン・ギスン・神奈川朝高三年学年主任
今回、(祖国に修学旅行に行った)61期学生たちにとってバス運転手のホン・チョロホ先生との出会いは格別なものになった。
祖国の愛の塊りのような朝青愛国号は、一九八九年第13回世界青年学生祝典の時、朝青が贈ったバスだ。ホン先生はこのバスを異国の日本で暮らす、私たちの生徒たちのために運転し続けてきた。走行距離は何と五〇万キロ、地球を一二周以上したことになる。そこには人知れない労苦と熱い誠意が宿っている。ところが私たち神奈川中高61期が、彼が運転する朝青愛国号の最後の利用者になるというのだ。二七年間、朝高生を乗せ、祖国の津々浦々を走ってきた朝青愛国号。ホン先生は、朝青愛国号を下りるという話を聞いた瞬間、思わず涙したという。
朝高生たちにとって、朝青愛国号の車内は教室と同じだ。 この「教室」の中で、指導員先生の話し聞き、この「教室」の車窓から見える祖国の姿を目と心に焼き付け、胸の中に祖国を抱いた朝高校生。その生徒たちが今は祖国の担い手として、総連の代を継ぐ立派な働き手として、同胞社会を強く守る柱に育っている。改めて高三の生徒たちが祖国を訪問するたびに、「走る教室」を責任をもって、真心で支えてきたホン先生に対する感謝の気持ちを禁じることはできない。
私たち61期生たちもホン先生が走らせる朝青愛国号を最後に乗ることになった生徒たちとして、運転手先生の意を祖国の愛と信頼だと思い、その時だけの感謝や感激で終わらせず、堂々とした祖国の息子娘に育つであろう。
ホン・チョルホ先生が私たち朝高生に朝青愛国号と共に傾けてくれた知性に充ちた愛国の情と肉親の情を私たち61期生は永遠に忘れないだろう。
今日も朝青愛国号は生徒たちの心の中を走っている。
2019年春―海外代表団乗せ金剛山へ
キム・チグァン・「統一ニュース」記者
今回の迎春連帯の集いには、海外代表として、孫享根6・15海外側委員長をはじめとして日本から八人、中国から六人、オーストラリアから一人の一五人が参加した。かれらが平壌から乗ってきたバスには「朝青愛国号」と書かれていた。在日総連系青年団体である朝青が祖国に送ったバスを海外側代表団に配車したのだ。
(「統一ニュース」2019・2・14に掲載された「写真で見る金剛山迎春共同行事」からの抜粋)55
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