朝鮮、見て、聴いて、感じたままを語る:2時間たっぷり「北朝鮮」談義
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金日宇(「記録する会」=2月9日)
「南北コリアと日本のともだち展」の一角で行なわれた、昨年夏に訪朝した大学生によるギャラリートークを聞いた。
二〇〇一年にはじまった「南北コリアと日本のともだち展」の「発展版」として二〇一二年からスタートした「日朝大学生交流」は今回で六回目。平壌市内見学と学校訪問、板門店と開城観光など、さまざまなプログラムが組まれているが、メインは平壌外国語大の日本語学科の学生との交流だ。一回目は大学内での一時間弱の交流だったが、市内を周りながらの半日の交流と懇談(第二回)、第四回からはワークショップが加わり二日半、今回は三日半の交流。「少しずつ『一緒に』」プログラムを進化させてきた。今回、日本からの訪問者は在日同胞一人を含む六人。八人の外大生と行動を共にした。
「私にとっても近いけれど遠い国…論より証拠、とにかく行ってみて、五感で感じ取ることが大切」と、口火を切り、引率した中央大学の目加田説子先生も学生たちと同じく初訪朝。学生たちに訪朝のきっかけ、行く前と行った後の「考え」の変化を上手に語らせていた。
「友人の訪朝報告会に行って、朝鮮の姿が全く違った」、「二〇一六年、一七年の『北朝鮮』のイメージと言えば核とミサイルだった。たまたま訪朝報告会に行って、行けるのか…と」、「様々な考え方の人がいる…自分で見てみたかった」、「海外での生活が長い。海外と日本のメディアの報道が全然違ったので」
きっかけは様々だが、印象は思いのほか良かったようだ。
「…大学生の姿は変わらない。向こうの大学生も勉学に部活、同じような生活を送っている。偏見を持っていた」、「どうして日本語をと、尋ねたら、一人ひとりが違った返事を。日本語の発音が美しいからという答えも…この国の人も自分が好きな勉強を…同じ感性を持った人が暮らしている…」、「…メディアの情報とぜんぜん違っていた。自分で体験できてよかった。すぐに仲良くできるのに…」、「人が歩いている、バトミントンをやっている、それだけで驚く人がいて…」、「朝、汗だくでバトミントンに励んでいるおばちゃんがいて、それすら驚きだった。(外大生との)ガールズトークは世界共通…通じるものがあった」、「歓迎されないと思っていたが、全然、温かく迎えてくれた。いい印象…日本のマスコミのバイアス(偏り、偏見)に気づけた」等々。
目加田先生は「メディアのイメージでかなりの偏りが…そのギャップと体験に、どんなことを思っているのか」との問いにも率直な思いが語られた。
「八月に行って、何回か報告会をしたが、多くの人に伝えるためには私自身がもっと知らなくては…」、「植民地支配は根深い問題だと…日本の政治が『北朝鮮』を一定の考え方に閉じ込めようとしているのでは…」、「植民地支配が重大な問題だということを初めて知った。慰安婦…憎しみや怒りを持っているのが伝わってきた。在日コリアがなぜいるのか、『高校無償化』などの関心も広がった」、「彼らは自分の国に誇りを持っていた、彼らが語る北朝鮮と僕が知っている北朝鮮とのギャップが…」、「歴史の部分、合わなかった、違った部分が、いかに一致した共通した思いを発展させるのか…」。
学生たちは訪朝する前に、「ヘイトスピーチから日本と朝鮮半島の問題を考える」、「日本の植民地支配の歴史をふりかえる」、「南北の分断、北朝鮮の社会体制・状況について知る」、「北朝鮮の非核化について」をテーマに三回の勉強会、訪朝後も「日本と朝鮮半島の歴史を学ぶフィールドワーク」、訪朝報告会などを重ねている。
今回のギャラリートークは、その「成果」の発表会を兼ねている。学生たちの話には多くの問題提起も含まれていた。
朝鮮での体験をどう伝えるかに、困惑しているようだ。
「行ってきたというと、平壌しか見ていないで何をと、それをどうやって論駁するか…」、「『凄いね』、どうせ平壌だけでしょ…洗脳されているのではという話も」、「あっそうなの~丸め込まれたのでは…宣伝に使われているのでは…」、「行ってきたことすら話すことにためらいがある。『行った、やばいんじゃない』その視線が怖くて話せない」、「結構話すのですが、偏見? デンジャラスな国、国交結んじゃだめな国…」、「話したら距離を置かれることも…浅はかではないのか…その国行ったから友だちやめるって、それっておかしくない?と思うが…」。
先生は、「行ったことすらいえない」日本の状況を憂いながらも、「認識の違いを埋めていく、何かできる、何かをしなくては…」と。
会場からの「監視員は?」との質問には、「健康と安全を守ってくれるツアーコンダクターに近いのでは」との答えを、「また行きたいと思うか」との問いにはきっぱりと「行きたい」、「行きます」と返していた。
「別れ際にまた会いましょうと言われ、その時は言葉にできなかったが、今年も参加したい」、「自分の考えがないことを痛感した。しっかりとした考えを持った若者として是非とも学生のうちに…」、「行きたいな~歴史の勉強ができていなかったので、、もっと『修行』して、レベルアップしてから学生のうちに…」、「是非また会いたい。近いうちに行く」、「ぜひもう一回、オリジナルの意見をもって対等に議論ができるようにして行きたい」、「ただ行くだけではなく、成長したものを持って行きたい」と。
二時間、たっぷり爽やかな「北朝鮮」談義だった。
会場で配られた、「東北アジア大学生平和交流プログラム」のガイドには、次のように記されている。
「このたび、『日朝大学生交流』は、「日朝」を主軸とした大学生交流に日韓、日中も含め、大学生が重層的に交流しながら、平和な東北アジアを作っていく若者リーダーの土台作りとなる交流・勉強会をセットに実施する、年間の人材育成プログラム『東北アジア大学生平和交流プログラム』へ生まれ変わりました。」
同行し、司会を務めた目加田説子先生は、「学生たちが大きく成長している。日本でもできることがたくさんある。足元にある、無関心である、解決できずにいることに…朝鮮語の勉強を始めたという言葉でトークを結んだ。
互いを知る・親しくなるという「一過性」のものから、人材育成という将来を見込んだ実行力のあるプログラムは確実に、その一歩を踏み出したようだ。
会場後方の壁一面には、南北朝鮮と中国、日本の子どもたちが描いた「わたしのまちにおいでよ」が展示されていた。
外に出ると、予報の雪ではなく小雨がぱらついていた。寒さに身が縮んだ。
「北朝鮮」の乱発は受け入れがたかったが、若い世代が語る、思い描く東アジアの未来に、心はほっこりしていた。54
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