朝青班活動で「金日成青年栄誉賞」受賞 在日朝鮮人という存在を消してはいけない
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インタビューを終えて
金淑子
日本社会における在日朝鮮人の処遇はこの上なく不安定だ。クラスのいじめられっ子のように、風向きしだいで思いもしない状況に追いやられる。これまで身をもって経験してきた私たちは、朝鮮半島を巡るニュースはもちろん、事件事故で「韓国籍の〇〇」という報道が出ただけでドキッとする。無意識のうちに、条件反射のように、心が反応するのだ。そんな状況に二〇〇二年以降は、「北朝鮮」バッシングが加わった。拉致問題の発覚が差別を正当化する口実となったのだ。最も衝撃を受けたのは在日朝鮮人だった。どう受け止めてよいものか、戸惑いが走った。足下が揺らいだ。マスコミを総動員したような連日のすさまじいバッシングに、「北朝鮮」や「総連」と距離を置いて、飛び火から身を守りたい衝動に駆られた。
さらに二〇一〇年以降は、朝鮮の核実験や長距離ミサイルの発射実験で、情勢が緊張を極めた。ヘイトスピーチが横行し、朝鮮学校の児童生徒は減少の一途を辿った。各地の裁判所が相次いで、「北朝鮮」や「総連」との関係を理由に、朝鮮高級学校を無償化制度から除外したことを適法だとした。さんざん弾圧しておきながら、朝鮮からの支援で息を吹き返して生き延びてきた朝鮮学校を、今度はその支援を理由に弾圧するのだから、彼らが私たちの声に耳を傾けようとしているとはとうてい思えない。
そんな厳しい日々の中で、改めてくっきりと浮かんできた事実がある。それは、いかに繕ったところで、在日朝鮮人運動をリードしてきたのは総連であり、朝鮮学校は朝鮮民主主義人民共和国の支援のおかげで厳しい中を生き延びてきたということだ。
そこで今一度、朝鮮と喜怒哀楽を共にしてきた在日朝鮮人たちの歩みを辿ってみようと思った。そんな矢先、朝青活動の班長をしていて「金日成青年栄誉賞」を受けた人がいるという話を聞いて、インタビューを申し込んだ。
二月初めに、東京・西新井の喫茶店で話を聞いた。
一世のハラボジ・ハルモニがいて、済州島の言葉が行き交うトンネで、家を周りながら誘い合って登校する子どもたち。学校では机を並べて卓球に熱中し、下校後は、男子はメンコ、女子はおはじきで、学校で習ったウリマルを織り交ぜながらはしゃぐ子どもたちの姿が目に浮かぶようだった。誰もが貧しい時期だった。帰国すれば道が開けるかも知れないと、再び玄界灘を渡って朝鮮へと帰っていった同胞たちも少なく無かった。
駒沢競技場(収容可能人数二万人)が歓声で揺れたマスゲーム、銀座に響いたデモ隊のシュプレヒコール、全国をリレーして行われた自転車行進…。思想教育一色の授業にはうんざりしていても、総連と朝鮮は誇りであり、希望だったのだろう。
とりわけ金日成主席への思いは格別だった。主席の六五歳の誕生日を祝って朝鮮に機材を送ろうと、総連や女性同盟、朝青がこぞってキャンペーンを繰り広げた。募金だけでは足りないと、毎晩集まって内職をし、日曜には荷下ろしのバイトをし、飲食店の呼び込みもした。朝青たちが一つの目標を持って一緒に汗を流し、それを同胞が応援してくれた。差別で将来への希望さえ持てない日本社会で、同胞コミュニティーだからこその善意を実感する日々だった。そんな青年たちの誠意に、朝鮮が「金日成青年栄誉賞」で応えた。同胞だけではない、在日朝鮮人と祖国・朝鮮の思いが行き交ったのだ。
青商会や総連で活動する同胞たちは、朝青での活動経験が大切だと口を揃える。足立支部でも朝青活動の中心人物が総連活動を担い、朝鮮学校を支えてきた。
「ハッキョは最後の砦です。ハッキョが無くなれば何もかも無くなってしまいます。これは絶対、何としても維持していかなくてはいけません」
「在日朝鮮人という存在を消してはいけません。… 歴史も何もかもうやむやにして無くすわけにはいかない。…四世、五世の社会で薄れていく部分もあるけれど、総連も民団も残すための努力をもっとしていかなくてはいかない。そのためにはウリハッキョしかありません。親だけで伝えられるものではないです」
地元に根ざして数十年間、同胞たちの中で地道に活動を続けてきた呉さんの言葉には、切実さがにじんでいた。
「現在、介護の仕事をしている長男は足立青商会の幹事長を務めています。足立支部の分会長も多くは四十代です。彼らは発想も違いますしね。若い世代がやる気を出しているので、いいと思います」と若い世代に期待を寄せながらも、「六十代以上でも発想しだいで面白いことができるのではないですか?」と言うと「元気だしね」という答が返ってきた。
学校を支える活動に引退はないようだ。何ができるのか、世代ごとにアイデアを出していかなくてはいけない。54
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