朝青班活動で「金日成青年栄誉賞」受賞 在日朝鮮人という存在を消してはいけない
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がんばっている若い世代
うやむやにはできない歴史
金去年は大きな変化の年でしたが。
呉日本も韓国も、アメリカの植民地だと思っているので、アメリカが変わらない限り何もできないと思っています。
金でも今回に限っては韓国が積極的に働きかけていますよね。
呉アメリカや国際社会に積極的にやっていますね。
金韓国には行きましたか?
呉息子が仕事で二年ほどソウルに単身赴任していたので、生活の様子を見に行くことにしたのですが、済州島に行かないでソウルに行くわけにはいかないということで、済州島に行ってから、ソウルに行きました。
金済州島はどうでしたか?
呉故郷という実感はありませんが、先祖がいてアボジ・オモニもここで生まれ育ったんだなと。五人兄弟の末っ子だったアボジは植民地時代に、先に日本に来ていた兄を頼って渡ってきました。
金済州島には親戚の方がいらっしゃるのですか?
呉甥にあたる私より年下の男性に案内を頼みました。息子が単身赴任するときに私たちも一緒に韓国籍を取得しました。その時に外国人登録証の内容と済州島に出された出生届の内容が違うということで裁判をすることになりました。済州島での私の出生届は、済州島に住んでいたハルモニが出してくれたのですが、両親が伝えた新暦の生年月日をわざわざ旧暦に変えて、済州島で生まれたことにして提出していたのです。
金在日朝鮮人「あるある話」ですね。
呉それで裁判所で、日本で出した出生届と済州島に提出した出生届を一本化しなくてはいけないということだったのですが、行けないので、領事館に電話すると「朝鮮籍」ということで断られ、ソウルの親戚に頼んで、領事館に書類を提出してようやく認められました。二カ月くらいかかりましたね。
金初めて行った南は? 先祖の墓を参ると感じるものがあるという人もいますが。
呉アボジは当時存命だったのですが、行けなくて、墓に行ったら草でも取ってきてほしいと言われて、袋に入れて持って帰ってきました。日本にある墓にアボジを埋葬するとき、一緒に入れました。十代後半までいたので、懐かしかったのでしょうね。それ以来一度もいけませんでしたし。
金一九四八年の4・3事件は経験なさっていないのですね。
呉はい、でも親戚が亡くなったという話は聞いています。母は、解放直後に兄と姉を連れて一度帰ったのですが、あっちで兄と姉を感染病か栄養不足かで亡くして、一人で日本に戻って来たようです。戻って来た当時の母は見ているのが辛かったと、近所のおばさんたちが話していたのを覚えています。そのあとに兄と私と妹が生まれました。
金若い世代に伝えたい事は?
呉難しいとは思いますが、最低限在日朝鮮人の筋のようなものを切らさないでほしい。私たちも一世から代を継いでやって来ました。それを見て来た次の世代にも引き継いでほしい。若い世代は、十分それをわかっていると思います。
金何を継いでいけばいいのでしょうか? その中身は?
呉在日朝鮮人という存在を消してはいけません。日本に連れて来られて始まった在日朝鮮人の歴史がここまで発展してきた。今から朝鮮半島に戻る人はほとんどいない中で、在日朝鮮人社会はずっと残るべきだと思います。歴史も何もかもうやむやにして無くすわけにはいかない。「過去にそんなのがあったな」というのでは困る。四世、五世の社会で薄れていく部分もあるけれど、総連も民団も残すための努力をもっとしていかなくてはいかない。そのためにはウリハッキョしかありません。親だけで伝えられるものではないです。
金希望は若い世代がしっかり育っていることですね。
呉現在、介護の仕事をしている長男は足立青商会の幹事長を務めています。足立支部の分会長も多くは四十代です。彼らは発想も違いますしね。若い世代がやる気を出しているので、いいと思います。
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