「朝鮮人」実感したウリナラ訪問 活動通じ、思い伝える難しさ学ぶ
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朝鮮語、歴史以上に
同胞の情が生きる糧に
金静岡のハッキョも児童生徒が少ないですよね。校舎は新しいのに。
全児童生徒が少なくて、財政的にもかなり厳しいようです。日本の学校に通っていた学生たちが留学同に参加して、朝鮮人として生きる道を選んでくれて、自分の子どもをウリハッキョに送ってくれればいいのですが。遠い将来のようにも思えるのですが、そういう掘り起しが必要だと思います。
金ウリハッキョから日本の大学に行って、今ウリハッキョの生活を振り返ってどう思いますか?
全自分はハッキョがあって当たり前という恵まれた環境で育ってきたのですが、今の静岡では、ハッキョは支援するけど自分の子どもはウリハッキョには入れないという人も結構いて、朝鮮に対して批判的な同胞に会うこともよくあります。ハッキョ維持の難しさを感じます。
金そんな中でもウリハッキョは必要でしょうか?
全子どもをいい大学に行かせたいから、ウリハッキョには送らないというようなことをよく聞きますが、それは本当にもったいないと思います。ウリハッキョでそれよりもっと大切なことをたくさん習ってきたのにと。民族を知ってウリマルを習ったこともそうなんですけど、先生や友だち、同胞たちとの間で行きかう愛情が、これから生きていく大きな糧になりました。それが無くなるのは寂しいです。自分に子どもができたら絶対にウリハッキョに入れたいと思っています。これからは物理的なことよりもそういうことが助けになると思っているので。誰かのために頑張ろうと思えるような気持ちが、これからはもっと大切になると思います。それがなくなるのは考えられないです。ウリハッキョは必ず守りたいです。
金栃木のハッキョに長く通いましたよね。当時は何人くらい児童生徒がいたのでしょうか?
全多い時で三〇人くらいいたと思います。同級生も出たり入ったりはありましたが、多い時で五~六人、少ない時は三人くらいでした。
金静岡も同胞が少ない地域ですが、住んでみてどうですか?
全静岡に住んでまだ三年ですが、朝青や留学同で名簿を見ながら一生懸命人を訪ねて行ったりして、活動の中で辛いことも楽しいこともいっしょに経験して、アルバイト先でもいろんなことを学んで、強い愛着を感じています。生徒の時は与えられた環境でやるべきことをやるという日々で、少し委縮していたところもあったと思うのですが、今は自分が主体になって何をやろうかと考えて動いているので、胸張って生きているという実感があります。
金東京朝高はどうでしたか?
全埼玉初中級学校に中三の途中から行ったのですが、皆がよくしてくれて、楽しかったです。今も当時のクラスの友だちとはたまに会います。東京中高にはいろんな学校から集まっているので、アウェー感もなく、面白かったです。高一の時はバスケットクラブに入っていたのですが、幼稚園の頃から海洋生物学者になりたいという夢があったので、二年からは受験に備えることにしました。
金学校側から朝鮮大学校に行きなさいという圧力のようなものはなかったですか?
全東京朝高にはそういうイメージがあるようですが、自分の場合は幼いころから海洋生物の専門家になって同胞社会に貢献したいという確固とした夢があったので、先生たちも応援してくれました。
金予備校にはいつから通ったのですか?
全高二の途中からですね。予備校では、いかに楽しく効率よく頭に入れるかということが徹底していて、衝撃的でした。こんなにわかりやすいんだと驚きました。ウリハッキョでこんな授業を導入したいと思いました。大学の授業はもっとひどいですが。
金じゃあ、海洋生物の勉強をするために一年浪人して。
全海洋生物の研究をするために、獣医の資格があった方がいいのではないかと思って、先に獣医を目指したんですが、うまくいかなくて、今の大学の海洋生物学科に入りました。
金大学に入って、思ったような勉強はできていますか?
全いつからか勉強にかける時間よりも留学同の活動にかける時間が多くなって。一、二年の頃は、英語とか魚の種類や部位名を覚えたりする基礎知識が主で、体を動かしたかったのですが、全く違いました。つまらないなと思っている隙間に朝青と留学同が入ってきてしまったというか。気が付いたら名古屋にいる時間が増えていました。それでも以前は月一くらいだったのですが、最近は週一くらいのペースで名古屋に来ています。もともと生活のためにアルバイトの比重が一番大きかったのですが、留学同、朝青活動にとって代わられて、大学が下の方に落ちたというか。もともと同胞社会が好きで、朝高卒業する時から在日同胞社会にかかわっていこうとは思っていたので、静岡に行ったらとりあえずウリハッキョには訪ねて行こうと思っていたのですが、こういう状況は予測していませんでした。
金朝高生にとっての同胞社会ってどんなものなのかな?
全お給料も十分出ていない厳しい中でも、自分たちに向き合ってくれて、聞きに行ったらいつでも勉強も教えてくれて、真剣に怒ってくれる先生たちが好きだったし、そういうお金には換算できない人の情のようなものが大切だと思っていました。
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