「朝鮮人」実感したウリナラ訪問 活動通じ、思い伝える難しさ学ぶ
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インタビューを終えて
金淑子
一月のある日、49号でインタビューした留学同東海の金秀烈副委員長から「いい学生がいるのでインタビューしませんか?」と連絡をもらった。ありがたかった。二月九日に成人式の予定があるというので、その前にインタビューして成人式にお邪魔することにした。名中支部の近くのコーヒーショップで話を聞いた。質問をすると、ハキハキしたよく通る声で答が返ってきた。
金嬉老事件を引き起こした一九六〇年代と変わらない日本社会の閉塞感を感じながら、「在日朝鮮人」ではなく「朝鮮人」に立ち戻って考えようと訪ねた朝鮮で、自分たちと同じ歴史が重なり、出会った人々をより身近に感じた。その上で現在の無償化問題などを考えると「だんだん腹が立ってきた」という。そんな現状だから同胞に寄り添いたいとの思いがますます強まるのだろう。「すごくつらい時期がありました。そういう時に何を原動力にするかと考えたことがありました。…日常の細かい気遣いがありがたくて頑張れるというのがあると思います」という言葉には、多くの人の愛情を受けてきた全さん自信の優しさを感じた。
活動家は苦労が多いわりに報われる事の少ない、けれど無くてはならない重要な仕事だ。彼がそんな難しい仕事に挑もうとするのはありがたいことだ。でも私はこんな時代だからこそ、同胞や子どもたちに夢を与えてほしいと思った。各地のハッキョをまわると、朝鮮大学校の「昆虫博士」韓昌道先生の話をよく聞く。先日も東京朝鮮第九初級学校のオモニ会からプレゼントされた特別授業で、興味津々の子どもたちの様子が紹介されていた。全裕誠さんが、海洋生物学の専門家として朝鮮と日本の架け橋となれば、子どもたちの夢はさらに膨らむはずだ。全さんを紹介してくれた金副委員長の意図とは違ったかも知れないが、海洋生物学の方に話がシフトしまうのを止められなかった。
最近、留学同や朝青の若い世代をインタビューしながら、朝鮮半島への感覚の違いを感じる。
「統一運動をする南側の学生たちの運動の記事を読んだりすると、今まで別枠だった南側でもそういう運動をしていて、同じ民族なのかなと感じるようになりました」
「韓国ドラマは見ますが、民族と関連付けてはみないですね。韓国は軍事政権が長く続いていた一方で、ウリナラは人民たちの国なので正当性があると思っていました」
このような感覚は全裕誠さんだけではないようだ。境界は一九八九年に平壌で開かれた世界青年学生祭典での「林秀卿旋風」を経験した四〇歳代後半くらいだろうか。
彼らより上の世代は、韓国の民主化運動を知っている。軍事政権下で民主化を求めて自らを犠牲にして闘う韓国の若い世代に、日本で差別と闘う自分たちを重ね合わせ、「祖国統一」を心から叫んだ。故郷を懐かしむ南出身の一世同胞たちの多くも健在で、家族たちは、行きたくても行けない地に共に思いを馳せた。韓国は、いつも在日朝鮮人の隣にあった。
ところが韓国の軍事政権に代わって文民政権が樹立された頃から、闘争への連帯は消え、代わって流れ込んできた「韓流」文化は日本社会に一般化された。世代交代は進み、現代化された韓国に郷愁を感じることも無くなった。同時にそれまでは選抜クラスだけだった朝鮮高級学校の朝鮮訪問が全卒業生の修学旅行として定着し、スポーツや芸術分野の通信教育など、生徒たちが朝鮮を訪れる機会が増えた。厳しい中で民族の自尊心を守る在日朝鮮人を物心両面で激励してくれる朝鮮は、唯一の支えであり、二つと無い祖国だとの思いは、朝鮮の人々との思い出とともにますます強まった。
激しい「北朝鮮バッシング」の中で朝鮮をありのまま理解することは大切だ。「自分は、朝鮮学校とウリナラ、総連を切り離して考えることはできません。そこで妥協してしまったら、ウリハッキョの良いところをすべて打ち消すことになってしまう」のは、まさにその通りだ。
しかし、冷戦時代の朝鮮半島の歴史は、朝鮮民主主義人民共和国と韓国でワンセットだ。南北が互いを理解して尊重しながら生きていく統一世代の在日朝鮮人として、朝鮮の歴史同様、韓国の歴史もおろそかにしてほしくはないと感じた。54
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