朝鮮学校の良さ発信して連帯広げ、世論で敗訴覆そう
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屈折を知らない「在日」
育てる朝鮮学校
長崎私が生野に来たきっかけは、大学時代に在日韓国政治犯の李哲さんの救援活動をしていて四年の時に生野で行われたセミナーに参加したことでした。李哲さんはソウル留学中にスパイ容疑で囚われました。在日の人たちが祖国に留学するのは、日本の中で差別を受けて、一旦日本人になろうとしたけど、やはりそれは違うと、自分を取り戻すためでした。そうして祖国に帰ったら、分断の中でまたスパイにされてしまった。当時は、「日本ってなんてひどいことをしてきたんだろうか」という思いが先に立って、在日の人と対等な関係がなかなか持てませんでした。
ところが生野に来た時に、「差別する日本人」と「気の毒な在日の人」というステレオタイプから、きがんちゃん(劇団トルのきむきがん)の「在日バイタルチェック」に出てくるような一世のハルモニの、差別を受けているけれども明るくてたくましくて、「キムチでご飯食べて行き」みたいな温かさがあって、「バンバン金儲けてうまいもんもいっぱい食べて」みたいな多面的な人間の温かい姿と出会ったときに、ステレオタイプの「在日」、「日本人」じゃなくて、人として一緒に暮らせる、こんな生野に来れたらいいなと思ったことでした。でも生野に職はないので、大学を卒業して二年間名古屋のYWCAで働いて、たまたま生野区で大阪聖和教会が、在日の人と日本の人が出会うセンターを保育園と並んで作るので、そこに来ないかというお話があって、生野に来たんです。
だから私から見ると、息子が最初から同じ目線で在日の子たちに会えて、けんかもするし仲良くもするしというのがすごくうれしかったんですね。民族保育を通じて、最初から心に傷を負って屈折したお友だちと会うんじゃなくて、自分が在日朝鮮人である、韓国人であるということを自然に受け入れているお友だちと会うことは、日本人にとっても豊かなものだなと体験を通じて実感しました。自分のことも好きだし、相手の文化も好きになれる。だから朝鮮学校を応援するという時に私は、原点で息子の話をします。
今のように日本社会で差別の嵐が吹き荒れている時に、堂々と自分が自分自身であることを認められて、それを話せる友だちがいて、親が苦労して送ってくれていることや、先生が給与も滞るような中でやってくれている、それをずっと支えてくれている地域の人がいるということもわかっている。日本人である私が朝鮮学校にかかわり続けてやっているということをちゃんと覚えていて、日本人といったら一くくりにして嫌ったり、反日ではなくて、日本の人たちの中にも本当に自分たちを愛してくれて一緒に歩みたいと思っている人がいるということを知った子どもたちが育つ。勉強ができるとかスポーツができるとかいうことは朝鮮学校が良いっていう時のアピールのポイントとしてどうしても使いたくなるんですが、やはりその前に心に傷を負わない、自分自身をありのままに認めて生きる力を持っているというところが、民族教育というか、私は人間教育だと思っているんですよね。そういう力を持っている人は、社会で挫折に会ったとしても立ち直る力がある、やはり人の痛みがわかる、人とつながって生きていく力を持っている。それは日本社会のなかだけでなくて、世界に出ても通用する力だと思います。
金保育園の幼い時期にすでに社会的抑圧を感じているんでしょうか?
長崎子どもたちは今でもオモニたちと話すときに、例えば生野のなかでは「オンマ、オンマ」と呼んでいるのに、よそに行った時にはちらっと親を見て、「お母さん」と言ったり、「ママ」と言ったりする。差別体験のないお子さんでなんの屈託もなくふるまう子どももいるとは思いますが、ハラボジとかハルモニがこんな形で日本に来てというようなことをおおらかに話せる家と隠している家で、子どもの屈折が違ってくると思います。おうちの中で堂々と話していたら、それは外でも言えるだろうし、おうちの中で堂々と話していても外で差別する視線に出会ったりすると子どもたちは態度を変えますね。
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