朝鮮学校の良さ発信して連帯広げ、世論で敗訴覆そう
スポンサードリンク
李哲さんの無罪判決
救援会でソウルを訪問
金李哲さんの支援活動をしていて朝鮮学校にかかわるのは、当時まだ韓国が軍事政権で冷戦真っただ中だったので難しくなかったですか?
長崎李哲さんの救援活動をしていた頃、名古屋にも朝鮮学校はあったはずなんですが、救援活動とはつながっていませんでした。李哲さんのいとこで李香代さんという北大阪オモニ会の役員をしていらした方なんですけど、彼女は親族の中で唯一朝鮮学校に通っていたんですね。それで李哲さんが捕まったときに親族の中から、「おまえが朝鮮総連とかかわりのあるところに行っているからだ」と言われたりもして、辛かったと言っていました。でも李哲さんは自分が朝鮮学校に行っていることを一度も責めたことはないし、『勉強頑張りなさい』と言ってくれた」と言っていました。
去年、李哲さんの再審があって無罪を獲得しました。それを受けて李哲さんを支える会のメンバーで、もうみな七十前後なんですが、ソウルに行ってきました。西大門刑務所に冤罪で囚われた政治犯のコーナーができたというのと、李哲さんの奥さんの閔香淑さんのお母さんは趙万朝オモニと言って韓国の政治犯のお母さんのような存在だったんですが、その方のお墓が民主人士の全泰壱さん(一九七〇年、ソウル・平和市場の被服工場で働く工員たちの処遇改善を求めて焼身自殺)らが眠っているお墓に移ったので、そこでみんなでチェサをしようということで。
西大門刑務所に行った時に高校生たちが実習で来ていて、李哲さんが「実はこれは自分なんだ」と言って、展示されていた私たちが書いた励ます手紙を示して「この人たちがこの手紙を書いて励ましてくれた日本の友人たちなんだ」と紹介したら、一人の女子高校生が、つたない日本語で「ありがとう、そしてごめんなさい」って言ったんです。そのあと韓国語を通訳してもらったんですが、彼女は日本のアニメが好きで日本語を勉強しているんだけれど、今ここにきてこのコーナーを見るまで自分の国が在日の人たちにこんなひどいことをしていたなんて知らなったと、そのことを「ごめんなさい」、そして四〇年以上李哲さんをこうして支えてくれていることに「ありがとう」と言ったんですね。日本から韓国に留学していた学生と、中国に留学していた日本人の学生と、朝鮮族の人たちも来ていて、一緒に話しながら国境ってこういう時につながっていくんだね、大事なことだねと言っていました。私はクリスチャンなので、こうして出会えたことに神様の意思を感じました。
金それはいつ頃の話ですか?
長崎去年の六月下旬から七月初めです。
李哲さんが西大門刑務所で囚われていた時に康宗憲さんたちと零下何度になるような冷たいところにいたとか、ここで死ぬような拷問を受けたとか、当時の話をいろいろしながら、自分たち日本から行った留学生はひどい目にあったけれど、一人も死刑を執行されなかった。それは支援があったからだと言っていました。一緒に獄にいた韓国農村部の出身者は、反共スパイが農村部まで浸透しているということを示すためだけにでっち上げられて、捕らえられるとすぐに死刑になっているんですよね、一族の一人がそういう目に合うと、もう「アカの一族」ということで、本当言葉にならない苦労をされてきて…。そういう中から、ああいうキャンドル革命が生まれたんでしょうね。すごい重みを感じました。
スポンサードリンク