民族教育受けて来た者として知らないふりできない
スポンサードリンク
インタビューを終えて
金淑子
京都本部近くの喫茶店で話を聞いた。九月に韓国の大学生を迎えて、留学同や朝青、韓青などが一緒に参加したイベント「ウリトレ」(51号63~66頁参照)の初日にウリナラから帰国し、家には帰らずそのまま一行に合流、翌日は朝鮮の平和と統一をアピールして京都市内をパレードし夜遅くまで交流会に参加、最終日の三日目も朝からウトロでのイベント準備に買い出しに行ったり、料理を作ったり、忙しく立ち回っていた。ようやく後片付けを終えて本部にたどり着いた後、大阪に行くまでのわずかな時間に話を聞いた。
女性の留学同委員長がいると聞いて、インタビューを申し込んだ。長い歴史の中で初ではないだろうか。さらに既婚だと聞いて驚いた。疲れを見せずにテキパキと仕事をこなす姿が頼もしかった。
ウリハッキョ高級部に通っていた頃は、反抗的な生徒と言うわけではなかったけれど、息苦しさを感じていたし、ウリナラについても日本のマスコミを信じていたという。十代後半、周囲を斜に構えて見る時期、そんな生徒は結構いるのではないかと思う。
日本の大学に進学して、一歩引いて日本の中の同胞社会やウリナラを、それまでよりも少し広い視野で見直して、その存在意義や大切さを自分なりにかみ砕いてみた。それが留学同の活動だった。
日本の学校に通ったことのある私は、朝鮮学校卒業生たちが、朝鮮学校の存在意義を軽んじているように感じて歯がゆい思いをすることがよくある。彼らには、朝鮮人に対する日本社会の不条理な攻撃に対応できる歴史や言葉の知識をもっていること、そして何よりも同じ境遇の仲間がいるという安心感があまりにも当たり前で、それを持たない人の不安や孤独が想像できないのだろう。子どもを日本の学校に送って「うちの子はうまくやっている」という人もいる。しかしそんな悩みを親に言う子どもは多くない。テレビで朝鮮の報道がある度に、過去の歴史の清算のニュースが流れる度に、たった一人で心の中で葛藤し、自分の存在を脅かす朝鮮や韓国を遠ざけていく。日本の学校でそんな体験をしてきた学生たちが本名を名乗るには、「人生をひっくり返すほどの覚悟が必要」なのだ。彼らにとって自身が朝鮮人であるという事実は、それほどに恐ろしいことなのだ。
高明愛委員長は、そんな日本の学校出身の同世代たちに出会うことで、民族教育やウリナラを改めて見直した。そして活動家になる道を選び、「今も同胞社会に貢献するためにどうすればいいのかを考えながら、その都度選択していかなくてはいけないと思っている」。
歴史の勉強をして同胞社会の絆を強めることは大切だ。同時に、一歩引いて、外から朝鮮学校やウリナラについて見つめ直す機会があれば、その重要性をさらに実感できるのではないだろうかと、高委員長の話を聞きながら改めて考えている。
総連の中でも、「月刊イオ」の編集長や朝青大阪本部の委員長、そして高委員長のように、教育分野以外でも責任あるポストで活躍する女性が出てきた。それぞれの分野の活動家としてのキャリアが評価され、女性たちの才能が思う存分発揮できる環境が整っていけばいいと思う。青年団体を卒業した未婚や子どものいない女性が集う受け皿作りも喫緊の課題だ。まさに今、すべての世代の個性や才能が集まって「力のある人は力を、知識のある人は知識を、お金のある人はお金を」というスローガンで奮起する時ではないだろうか。高委員長をはじめとする京都留学同の女性専任活動家たちと三日間を共にして、私の中にも新たなやる気が沸いてきた。52
スポンサードリンク