民族教育受けて来た者として知らないふりできない
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七回のウリナラ訪問
変わったイメージ
金ウリナラにも行ったのですか?
高三年生の頃に行きました。
金朝高で修学旅行に行った時と比べてどうでしたか?
高二〇〇六年、朝高二年生(通常は三年生、この年だけ試験的に二年生で実施)の頃にマンギョンボン号に乗って修学旅行でウリナラに行ったのですが、友達と二週間、親の眼の届かないところで遊べるという感覚でした。その時は日本の報道が正しいと思っていましたし、ウリハッキョで言っていることは偏っていると思っていました。当時はウリナラの核実験が取りざたされて、出港するときには反対デモも目撃しました。ハッキョにも悪戯電話がよく来ていました。一緒に行った朝高生の写真が「フライデー」に出ていて「北朝鮮の裏側 朝鮮学校生徒たちの修学旅行」というような内容で、私も写真に写っていました。内容はありもしないことばかりだったのですが、そんな社会に生きているのだなというのを再認識しました。
金その時に観たウリナラはどうでしたか?
高日本とは違うということしか見えませんでした。不便で、貧しくて、暗くて…。当時は「苦難の行軍」からようやく抜け出した時期だったと思います。写真も規制されて、今よりもずっと厳しい時期だったと思います。ウリナラの人と話すと誰からも同じ言葉が返ってきて、ここで暮らすそうなるのかなと思いました。「大変ですね」というと必ず「大丈夫です。私たちには大元帥がいるので」と決まったように同じ言葉が返ってきて、それが納得できませんでした。
金留学同で行ったのは二〇〇九年?
高この時は、自分からもう少し積極的に話しかけてみようと思いました。そうしていろいろ聞くとしっかり答えてくれました。その時に、自分がやりたいことはあるけれど、それよりも今、国で求められていることを優先するのだという答えを聞いて、国の印象と実際の人々の印象が全く違うと感じました。チュチェ思想を深く理解しているわけではないけれど、講義を聞いて、厳しい時期を乗り越えて今日があるという話を聞いたりして、高校生の頃の自分の態度を反省しました。
金学生時代に二回、その後も五回ウリナラに行ったと言っていましたね。
高留学同の学生引率で三回、それに二〇一二年四月の金日成主席誕生一〇〇周年の時に一か月間、二〇一五年にやはり一か月行きました。
金二〇一二年、少しウリナラの雰囲気が変わっていませんでしたか?
高二〇〇九年に留学同の学生として行った時と全く雰囲気が違いました。平壌ホテルに宿泊していたのですが、停電がほとんどなかったし、お湯が出る時間帯も増えていました。一緒に働いていた売店の女性たちが身に着けている服や靴、カバンも洗練されたというか、以前と少しイメージが違いました。ショートヘアやヘアカラーをしている女性もいて、化粧もいろいろで、多様化していました。ことば遣いもオープンな印象を受けました。金正日総書記が亡くなって三か月くらいは毎朝哀悼の音楽が流れたりしていたみたいです。私が行った時が三月末でちょうど喪が明けた頃だったので、その反動もあったと思います。
「同胞社会に貢献しよう」
留学同同期の仲間と
金少し話が戻りますが、専任活動家になろうと思ったのはなぜですか?
高就職も考えていたのですが、心の奥ではウリハッキョの先生になりたいと思っていました。でも朝鮮大学校卒業ではないのでできないと思っていました。当時は日本の大学を卒業して先生になっている人がいると知らなかったんです。大学卒業前に自分のそんな思いを留学同委員長に話したところ、だったら留学同で働かないかと言われました。それでいろいろ考えました。これまで自分は在日朝鮮人社会の厳しい現実を知りながら何もしてこなかったな、言葉だけだったなと、このままでは何も貢献できないと思いました。朝高まで民族教育を受けてウリマルも歴史も学べることが当たり前だと思っていたのに、当たり前ではなかったということを留学同で知って、民族教育を受けて来た者として知らないふりをするような生き方はしたくないと思いました。でもお金を儲けて同胞社会に貢献することは私にはできそうもないので、活動家として頑張ろうかなと。留学同の同期たちとも、よくそんな話をしました。
金今もよく集まるのですか?
高はい、ときどき。集まると学生当時の話をしたり、今、担当している仕事や、今後の同胞社会について、民族教育を守るためには、財政問題を解決するためにはどうしたらいいのかというような話をします。そんな話ができる仲間です。
金今、同胞社会をどう見ていますか?
高専任活動家なので、責任を持つ立場にあると思っています。自分がやるかどうかにかかっているとも思っています。今やっていることが間違っているとは思っていません。でも常に、同胞社会に貢献するためにどうすればいいのかを考えながら、その都度選択していかなくてはいけないと思っています。
金今年三〇歳ということで、人生の節目でもあると思います。今後どうしていこうと思っていますか?
高活動は続けたいです。ただその方法を考えなければいけないと思っています。教員をしたい気持ちは今もあるのですが、それよりも今自分にできることは何なのかと考えています。
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