朝大卒業生ならではの視角で一緒にできることがあるはず
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インタビューを終えて
金淑子
一〇月中旬、朝鮮大学校の李成基先生の部屋で話を聞いた。
先生にはじめて会ったのは、神奈川朝鮮中高級学校の生徒たちが参加した宇宙ロボットエレベーター競技会の会場だった。朝鮮大学校に赴任して間もない頃だったと思う。東北大大学院でロボットを専攻して朝大に赴任したと聞いた。教育の情報化について連載しながら、AIや第四次産業革命などの関連書籍を手当たり次第に読んでいた頃だ。アンドロイドロボットで有名な大阪大の石黒浩教授のインターネット講義を受講したりもした時だったので、ぜひ話を聞いてみたいと思った。その後もロボット競技会などで度々会ったが、シャイなイメージで声を掛けるのがためらわれた。
九月の科学者協会の討論会での報告を聞いて、「今だ!」と思い、インタビューをお願いする手紙を送った。ダメかも知れないと思っていたので、受けてもらえてうれしかった。実際に話してみると、シャイなイメージとは裏腹に話し上手だった。意外だった。
東北初中高級学校を卒業してからの十数年は、思いもかけないチャレンジと激動の日々だった。「卒業はあくまで人生の第一歩で、二歩目、三歩目はまだ予測がつかない」という李先生の言葉には説得力がある。「前で先生が言っている言葉が全く分からな」かったり、「上には限りがない」と感じたりしした日々、様々な葛藤があったはずだ。ところが先生の話しぶりは終始明るくて、インタビュアの私はずっと笑っていた。先生の授業はさぞかし面白いだろうと思った。そんな悪戦苦闘の日々に悟ったのが、それでも「自分にしかできないことがある」ということだった。
一方で、東北ハッキョで体験した東日本大震災では、六日後届いた東京同胞たちからのトラック三台にいっぱいの支援物資に驚き、一年間途切れない各地の同胞たちの慰問に「自分は周りの人に生かされている」と感じたという。そんなことを話す先生の言葉は、謙虚で優しくて、温かかった。
研究を博士論文としてまとめきれなかったという部分では口惜しさがにじみ出ていた。それでも最近の卒業生たちと一緒に勉強会をして、力を合わせて統一祖国のために何かやろうという意気込みが伝わってきた。実力さえ磨いていれば、朝鮮大学校卒業生だからこそできることがあるはずだと、九月の金策工業総合大学の国際学術討論会に参加して手応えを感じたようだ。
夏休みは毎日、研究室の掃除に追われたという。学生たちの満足度を高める環境作りの第一歩だ。初級部のレゴ教室や中高級部のロボット競技会参加などを通じて科学好きの生徒を育てることに関わりながら、朝鮮大学校の工学科で学んで、一緒に朝鮮の発展に貢献するという夢を実現していこうと、各高級学校を訪ねて訴えているという。
朝大の理工学部卒業生の中には、企業や研究所で研究を続けている優秀な人材が多いと聞いている。朝鮮半島をめぐる情勢が大きく動き、科学技術への期待が高まる中、「一緒にやろう!」と言う先生の呼びかけは、ただの夢ではないと感じた。52
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