ハラボジ顔のトーテンポール―東京朝鮮第三初級学校新校舎建設を前に
スポンサードリンク
金柱宇
第14代校長 教育会顧問
東京チェーサムの校門の隣に凛として立っていたハラボジ(おじいさん)顔のトーテンポール、子どもたちに「おまえはなにものだ!」と、問い続けていたようです。
もうすぐ旧校舎も取り壊され、残ったヒマラヤ杉と共にそのハラボジ顔のトーテンポールも切り倒され、この場所に新しい校舎が建ちます。きっと「ハラボジ」も、どんな校舎が出来るのか楽しみにしていることでしょう。(編集部)
東京朝鮮第三初級学校校門のすぐ左側に 大きなハラボジの木像が立っています。ずいぶん高い所からえらそうな顔をして外から悪い人が侵入してこないように見張っている門番のようです。おかしな帽子をかぶっているので朝鮮の偉いおじいさんなのかも知れません。眠っているような細い目でいつも私たちを見下し、なにか悪さをしたら叱られそうで なんだかこわいです。でも鼻の下に深いしわをつくり、口をへの字に広げて何か言いたそうです。いったいこのハラボジは なにが言いたいんだろう。
実は、このハラボジ「너는 누구냐!(ノン ヌグニャ!)」って言ってるのです。
外から来る人には門番のように「おまえは だれだ!」と、問いただしているようだし、 また学校の児童たちには「おまえはなにものだ!」と問うて、「チョソンサラム(朝鮮人)であるならもっと自覚と誇りを持って堂々と生きなさい」と、厳しい目で見守っているのです。
しかし、どうして こんなものが 出来たのでしょう。
このハラボジ像、もとは青い葉をいっぱいに広げここに立っていたヒマラヤ杉だったのです。その杉の木は、今の校舎が建てられた一九六二年頃、学校を囲む万年塀の西側に一〇本ほど、垣根のように並べて植えられていました。
私が第三初級学校に教務主任として赴任したのは、一九七七年でしたが、その頃にはヒマラヤ杉は大木になっていて、まるで校舎を抱きかかえているように、広く枝を延ばしていました。
学校の前は広い道路で、車通りが多く巡回バスの停留場もあるので、けっこう騒音や排気ガスがひどかったのですが、このヒマラヤ杉があるおかげで、それほど気になりませんでした。
寒い冬は冷たい北風を防風林のようにしっかり防いで、また暑い夏はパラソルのように枝を大きく広げ強い日ざしを遮ってくれて、とてもありがたい木だったのです。
ところがある年、大型で猛烈に強い台風に遭い、並んで立っていたヒマラヤ杉の内二本が強風に耐えきれず大きく傾いてしまったのです。私たちにとってはかけがえのない大切な木でしたが、倒れかけた木を起こす事も出来ず、切るしかありませんでした。
しかし、残ったヒマラヤ杉は倒された木の隙間を埋めながら枝を広く伸ばして、もっと もっと大きくなって、背丈はなんと三階建ての校舎より高く伸びました。
すると、その大きく育ったこの木にカラスが巣を作り始めたのです。どこから集めてきたのか針金のハンガーを使って上手に巣を作りました。枝がうっそうと伸びていたので 下からは見えなかったのですが、屋上に上がるとその巣がよく見えました。
はじめはカラスもおとなしくしていたのでほっといていたのですが、ヒナがかえると警戒して、人が近くに来るとカーカー騒ぎたて威嚇までしてくるようになったので、このままでは子どもたちに危害を及ぼす恐れがあると思い巣を撤去することにしました。
ところがこれが簡単ではありません。はしごをかけ上っていくと、親鳥がすぐ目の前まで来て今にも飛びかからんと翼を広げ向ってくるのです。
私は怖いので、ヘルメットをかぶり目にはゴーグルをかけ棍棒でカラスをおっぱらいながら巣を壊し始めました。カラスの巣は 一〇〇本以上のハンガーが複雑に絡み合っていてはずすのが面倒で高い木の上での作業でしたから簡単ではありませんでした。
巣にはまだ羽が出揃わない二羽のヒナがいたので、捕まえて袋に詰めたのですが、子どもたちが見ているので、すぐに処分できず しばらく鳥かごにいれておいて、誰にも気づかれないように遠くの公園まで持って行き 放してやりました。
このように私はカラスと激しく争ったので、すっかりカラスの仇役になってしまいました。頭の良いカラスは私の顔をよく覚えていて外に出てくるのを待ち伏せし、私を見るたびに飛んできては子どもを返せととばかりにカーカーと騒ぎ威嚇し続けました。
カラスの巣はなんとか撤去しましたが ヒマラヤ杉をこのままにしておいてはまた来年も巣を作る事になります。なんとかしなければいけないのですが、木があまり大きいのでどうしたら良いのかと困っていました。 ちょうどその時、広がった枝が外側の電線にかかるようになっていたので、東京電力に頼んでみたらクレーン車をもち込んで電線にかかる枝と校舎の上まで伸びた木の頭を スッパリと切り落としてくれました。
それで一安心したのですが、この木の勢いは強くてすぐ枝が伸びていきます。そのたびに私が高い木の上に登りよく手を入れたので木も形が良くなり丈夫に育ってなんと 板橋区から「保護樹木」に認定されるまでになりました。
しかし、私も歳をとり木に登るのが辛くなってきたので、剪定を若い教務主任(現在の康哲敏校長)にまかせる事にしました。 すると教務主任はホームセンターのバーゲンセールで買ってきたと言う五千円のチェーンソーで腕ほどの太い枝を楽しそうにバッサバッサと切り落としていきました。チェーンソーを使うのがよっぽど面白かったのでしょう。鬱蒼と茂っていた大きなヒマラヤ杉があっと言う間に小枝だけのサッパリした樹形になってしまいました。
これはちょっと切り過ぎたのではないかと心配していたら案の定、剪定した二本の内 校門側の一本が枯れてみすぼらしい電信柱のようになってしまったのです。その枯れた 木はしばらくすると外側の樹皮もはがれて 見るからに無様な状態になってしまいました。こうなっては見栄えもよくないので切り倒すしかありません。
しかしこの木は今まで校門のすぐそばで 枝を大きくのばし寒い北風を受け止め暑い日差しから子どもたちを守ってきた有り難い木なのです。そう思うとこのまま切り倒してしまうのは忍びなくあまりに無残な気がして、私はこの木でなにかシンボル的な物を創って残せないかと考えました。
すぐ思いついたのが「将軍標(チャングンピョ)」と 言うトーテンポールです。
この「将軍標」と云うのは朝鮮で村落の入り口に魔よけとして立てられた境界標の事で「天下大将軍」、「地下女将軍」と書かれた二本の柱に目を見開き歯をむき出しにした顔を彫ったトーテンポールのことです。日本でも池袋線から西武線に乗って高麗神社と言う所まで行くと見る事ができます。
私はこの「将軍標」を参考にして枯れた杉の木に人の顔を彫る事を思いついたのです。
でも、高麗神社にある「将軍標」をそのまま真似して創ったのでは何の意味もありません。ですから、私なりに工夫して独自のものをなにかのメッセージを込めて創る事にしました。
「将軍標」は魔よけとして建てた物なので 顔は外に向けられていますが、このハラボジの顔は内に向けられ、いつも生徒たちを見つめています。まずそこから「将軍標」とは全く違います。そして顔の表情も外敵を威嚇するような恐ろしいものではなく、見る人になにかを語りかけるような含みのある顔をしています。
そうこのハラボジは、魔よけや門番のように外を見ているのではなく、学校にいる チェーサムの子どもたちに「넌 누구냐!」と、問いかけているのです。
それを知ってか知らずか、チェーサムの子たちはこのハラボジをこわいとも思わず、ハラボジの周りで無邪気にはしゃぎ回り 卒業生たちや新入生たちはこの顔の前で一緒に記念写真を撮ったりしました。
子どもたちはこの木彫りをチェーサムのハラボジとして充分親しんでくれました。 そしてチェーサムの想い出と共にこのハラボジの事も心に刻んでくれたと思います。
この木彫りも彫られて一二年も経ち、雨風にさらされ、あっちこっち大分傷んできました。もうそろそろチェーサムのハラボジとしての役目を終えるときが来ました。
いよいよ東京朝鮮第三初級学校の新校舎建設が始まります。
もうすぐ旧校舎も取り壊され、残ったヒマラヤ杉と共にハラボジの顔も切り倒され この場所は更地になります。そして今度はここに新しい校舎が建つのです。
どんな校舎が出来るのか楽しみです。きっと「ハラボジ」も、そう思っていることでしょう。(2018・9・3)5
スポンサードリンク