在日朝鮮人が体験を記した作品で同胞社会への理解を手助けしたい
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在日朝鮮人への理解促す本を
金日本語を通じて在外同胞に関心を持ったという話は、これまであまり聞きませんでした。
鄭在外同胞に関心を持ったのは大学院にいた頃です。二〇一〇年に日本の文学を研究してみたくて大学院に行って、最初に出会った在日朝鮮人の作品がサハリンの同胞を描いた李恢成の『流域へ』でした。ほかの在日同胞作家の作品も読んでみなくてはと思っていた時に朴先生の『ぼくらの旗』に出会いました。読んでみると、李恢成の作品とは全く違って、非常に身近に感じられました。作家に会いたくて、七〇歳代中盤の朴先生に実際に会うと、七〇年の年輪が刻まれた生きた博物館に出会ったようで。
金韓国では日本語より英語の方が人気があるのでは?
鄭英語も勉強してみたのですが、相性が良くないようで(笑)。大学で日本語を専攻したのは、高校生の頃、編み物が好きで編み物の本をよく読んでいたのですが、当時のそれはほとんどが日本の本の翻訳でした。それで日本の本を見ると編んでみたい作品が多くて、読んでみたいと思ったのがきっかけです。アニメでもJポップでもなくて編み物がきっかけなんです。
金編み物の本がきっかけで、出版社まで出すことになったんですね。
鄭出版社をスタートさせてからは、モンダンヨンピルの活動だけしていた時とは違う分野の人たちとの出会いがありました。それも私には大きな力になりました。
例えば在日朝鮮人の学術的な論文は韓国でも探せるのですが、私が求めているのは、『ぼくらの旗』のように在日朝鮮人が自分の実体験を書いた作品です。これは日本でしか探せません。同胞ではない人が同胞を分析した本ではなくて、同胞が自らの体験を自分の言葉で書いた作品を探しています。在日朝鮮人の有名な作家が書いた作品は、私でなくても誰かが紹介します。それよりも私は、ありふれているようで、誰からも聞いたことのない話というか、その人だけの物語を探し出したいのです。そういう本は、出版にたずさわる同胞たちが一番よく知っていると思います。今も会う人には必ず「同胞が書いた話があれば紹介してください」と頼んで歩いています。
金在日朝鮮人の話は、韓国の人が読んで面白いでしょうか?
鄭ベストセラーを望んでいるわけではありません。お金を儲けるなら、ほかの方法があるはずです。私のように今まで何も知らなかった韓国人が在日朝鮮人を知るきっかけになればいいと思っています。もしも同胞たちが「これは違うんじゃないか」と思う在日朝鮮人の作品が、十万部、百万部売れたとしても意味がないし、それはよくないことだと思います。例えばヤン・ヨンヒ監督の『ディア・ピョンヤン』や『かぞくのくに』のように。『朝鮮大学校物語』はひどかったです。たくさん売れて、多くの人が読んでくれることはいいことですが、これは違います。それよりは本当に在日朝鮮人を理解したいと思っている人たちの助けになるようなものを提供したいのです。需要が多くないことはわかっていますが、誰かが記録して残しておかなくてはいけないという思いもあります。
日本語版の『ぼくらの旗』も、渋る朴先生を金日宇(本誌編集発行人)さんが「私が出すから」と説得して出版されたと聞きました。
「あなたが知らない楽しさがある」
金ウリハッキョ卒業生は、朝鮮語が話せるだけではなく、朝鮮半島の分断の「痛み」を知っているということも大切な要素ではないかと思います。
鄭朝鮮が解放されて一つの国を作らなくてはいけなかったのに、南で先に国を樹立したことが在日朝鮮人社会に分断の不幸をもたらしました。さらに一九六五年には「韓日協定」が締結されて…。
金朝鮮半島が分断していなければ、日本政府は在日朝鮮人を今のようには扱わなかったはずです。
鄭その通りだと思います。
金だからでしょうか、モンダンヨンピルのクォン・ヘヒョ代表はいつも「私たちが来るのが遅くなって申し訳ない」といいます。鄭さんも、在日朝鮮人に申し訳ないと思うと言っていましたが、そういう自責の念をもって引き続き仕事するのは辛くないですか?
鄭最初はそう思っていたのですが、そればかり考えていたら辛くて、きっと長くは続かなかったと思います。でも今は、申し訳なさを軽くする方法を見つけました。過去には戻れなくても。
金人は楽しみながら生きなくてはいけないと思っています。楽しいですか?
鄭はい、楽しいです。今の世界は、私がこれまで経験したことのない世界です。申し訳なさを軽くする私なりの方法も見つけたし、やりがいも感じています。一方で同胞たちは私のやっていることをどう思うだろうか、「何も知らないで、でしゃばっている」と思う人もいるかもしれないといつも気になります。
今のこのやり方をずっと続けられるのか、何か障害が生じるのか、新しい方法が見えてくるのか、わかりませんが、いずれにしても私がやりたいと思う限り、精一杯やっていきたいと思っています。
金在日朝鮮人との出会いは、美英さんの人生を豊かにしたのでしょうか?
鄭豊かさの尺度はいろいろだと思います。私は双子なのですが、姉は結婚して働きながら子どもを育てています。姉と私は、今は全く違う世界に生きています。私が一生懸命やっていることを、姉は理解できませんし、私も、姉の日々の営みや悩みをすべて理解できるわけではありません。姉のように生きたらどんな人生だっただろうと思うことはあります。それもよかったとは思うのですが、姉は「一人がいいわよ」と言います。お互いないものねだりなのです。でも誰かに「そんな活動の何が面白いの?」と聞かれたら、私は「あなたが知らない楽しさがある」と答えます。つらい事や疲れることもありますが、それでもやりがいがあります。最近はキム・キガンさんの『在日バイタル』の演劇に家族を招待したりして、身近な人たちに私の楽しみを分けるようにしています。できるだけ自然な形で。
金モンダンヨンピルにはどのように関わっているのですか?
鄭半常勤です。常勤は事務総長の金明俊監督一人で、私ともう一人が半常勤です。
モンダンヨンピルは、朝鮮学校について知りたい人たちの団体です。ところが朝鮮学校の歴史は長くて、例えば「無償化裁判」と言ってもその背景に様々な要素が絡まり合っています。大学のように毎日講義するわけにもいかないので、どうすればわかりやすく朝鮮学校を身近に感じられるのか悩むところですが、4・24教育闘争を体験したペ・ヨンエ先生や、草創期に朝鮮学校に通った朴先生のように、体験者から話を聞くのが一番わかりやすいようです。そういうイベントをたくさん実施したいのですが、これまでは朝鮮籍の同胞たちが韓国に入って来られなくて思うようにいきませんでした。これからはそういう機会が増えるのではないかと思います。
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