在日朝鮮人が体験を記した作品で同胞社会への理解を手助けしたい
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心に迫る「朝鮮人であること」の切実さ
鄭ウリハッキョ卒業生はウリマルができます。同じ言葉でコミュニケーションが取れることが何よりも大きな原動力になっています。どんな問題も話し合いで解決できますから。
言葉はすべての基です。言葉で人と人の関係が紡がれ、文化が創造されます。南で生きる人びとにとって、韓国語を話したり書いたり、韓国の歴史を学ぶことは、ごく当たり前の日常で、特別なことではありません。韓国人は生まれたときから、母親から伝えられたその地の言葉で自分たちの暮らしを営みますが、在日朝鮮人は、母語が日本語でありながら、朝鮮語を学んで、考えや価値観、感情表現までを朝鮮人らしくしていかなくてはいけない、それを、代を継いで実践しています。貧しい中、差別に打ちひしがれて生きて来た一世、二世が、厳しい中でもそれを守って伝えてきたことを思うと、彼らの言葉に対する思いの重大さが、「朝鮮人であること」の切実さが伝わってきます。彼らの努力がなければ朝鮮学校はなかっただろうし、その思いを理解できなければ今もこれほど多くの人が朝鮮学校を守っていないと思います。
私は言葉の大切さについて、同胞たちに出会って初めて知りました。朝鮮学校に行くと生徒が、「アンニョンハシムミカ?」とあいさつをしてくれます。それは韓国人の「アンニョンハシムミカ?」と少し違うのですが、韓国語を学んだ外国人の「アンニョンハシムミカ」とは全く違うのです。子どもたちから受ける印象も、特別なんですよね。「私が南から来た人だと知っているのだろうか? どうあいさつすればいいのだろう?」と考えてしまって胸が痛くなるのです。今の初級部の児童たちは、五世くらいになるのでしょうか? 五世の子どもが「アンニョンハシムミカ?」とあいさつするまでの、これまでの同胞たちの長い道のりを考えると、胸が熱くなって涙が出そうになります。私が同胞たちに会うことなく、在日朝鮮人について図書館で資料を集めて研究していたなら論文をいくつか書いたかもしれないけれど、こういう気持ちにはなれなかったと思います。出会って、言葉を交わして、気持ちが行きかったから、心が反応するのです。
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