在日朝鮮人が体験を記した作品で同胞社会への理解を手助けしたい
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心の中で動き始めた『ぼくらの旗』登場人物
ある日そんなことを朴先生に話して、せめて今ある東京朝鮮中高級学校だけでもみてみたいと、頼みました。すると先生は、「はじめから言えばいいのに」と言って、一緒に荒川の国語教習所があった場所や東京第一朝鮮初中級学校、小説の中で主人公が太一と一緒に写真を撮った写真館、アボジの浮気相手がやっている飲み屋のあった場所、兄さんと一緒にコーヒーを飲みに行った喫茶「白鳥」、自宅のあった場所に連れて行ってくれました。東京朝鮮中高級学校にも行って、「ここに小山があって皆で崩した」「ここに日本の武器庫があって、あっちの方に戦車が見えて射撃の音がいつも聞こえていた」と説明してもらうと、当時の様子がいろいろ目に浮かんできました。パチンコ屋にも入りました。東京の高麗博物館でいろいろ写真も見て、川崎の路地を歩いて焼き肉やホルモンの店を見て回りました。そんな過程を通じて、登場人物が数十年前に生きていた昔の人びとではなくて、今も生きている実在の人物として私の心の中で動きはじめました。モンダンヨンピルで広島のハッキョに行った時には、今の児童生徒たちが数十年先輩の生徒たちと焼き肉の七輪を囲んで話す姿を想像したりして。
そうして日本とソウルを一人で行ったり来たりしている最中、朴先生に「モンダンヨンピルという団体を知っているか?」と聞かれました。二〇一一年の東日本大震災の後、被災した朝鮮学校のために韓国各地でチャリティーコンサートを開催した人びとが中心になって、クォン・ヘヒョさんを代表に、朝鮮学校を支援するNPO団体を公式に発足させたというニュースをどこかで知ったというのですが、私は聞いたことがありませんでした。私が「モンダンヨンピル」の会員になったのは二〇一三年八月のことです。
金そんな団体ができたと聞いて驚きませんでしたか?
鄭驚きました。金明俊監督の「ウリハッキョ」という映画があることも知りませんでした。朝鮮学校は総連系の学校なので、私たちのように反共教育を受けて来た世代は、決して触れてはいけない、会ってはいけない存在だったのです。そういう感覚が心の奥深くに根付いているのです。だから韓国のサイトでそういうことを検索しようとも思いませんでした。映画「ウリハッキョ」は「モンダンヨンピル」の会員になった後、見ました。
金それまで在日朝鮮人とのつながりは『ぼくらの旗』だけだったんですね。
鄭それだけでも手一杯でした。わからないことが多すぎて。この間私のパスポートは日本との往復でほとんど埋まってしまうほどでした。
金費用も時間もかけて、どうしてそこまでやったのでしょうか?
鄭荒川に住む同胞たちの部分を訳すと、そこに行きたくなるんです。荒川や川崎、大阪に同胞が大勢住んでいたというような情報に自然と関心が行くようになりました。日本でそんな地域が今どうなっているのか、コンピュータで検索したりして。
そうしているうちに、在日朝鮮人の歴史を邪険に扱っている日本に対してだんだんいらだちを感じて、こういう歴史を教えない韓国についても腹が立ってきました。私の世代の韓国人が持つ在日朝鮮人のイメージは、ひどく歪められたものです。テレビに出てくる在日朝鮮人はスパイかたどたどしい韓国語を話す成金で、朝鮮学校を守って来た話や在日朝鮮人の団体については聞いたことさえありませんでした。
金日本については。
鄭日本は、朝鮮を植民地統治したことについても認めていないじゃないですか。朝鮮人が日本に残るしかなかった当時の状況、朝鮮学校への弾圧はいうまでもないし、一九四七年に「外国人登録法」を施行して朝鮮人を排除しようとしたことには驚きました。植民地統治して朝鮮人をさんざん利用しておきながら、解放の二年後には排除して、難民にしてしまったわけですよね。こんなことをしておきながら「先進国」面していることに腹が立つのです。韓国で植民地時代のことは習うのですが、その時代に日本に渡っていかざるを得なかった人びとのことについては触れられません。中国に行った人びとについても同じです。朝鮮学校への日本政府の弾圧について少しずつ学ぶうちに、知らないままではいけないと思うようになりました。今も知らないことはたくさんあるのですが、少しずつ交流をしながら、学んでいます。もちろん人の住む社会なので、いろいろ問題も抱えているし、あえて私が口を出すべきではないこともあるのですが、力を合わせていけることについては一緒にやっていきたいと思っています。
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