在日朝鮮人が体験を記した作品で同胞社会への理解を手助けしたい
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「本当の話?」
「なぜ私たちは知らない?」
金『ぼくらの旗』を韓国に紹介したいと思ったのはなぜですか?
鄭二〇一一年八月に知り合いの日本の人に偶然紹介されてこの本に出合ったのですが、南では聞いたことのない話ばかりでした。「こんなこと本当にあったのだろうか? なぜ私たちは何も知らないのだろうか?」、読み進むうちにそんな疑問がどんどん大きくなって、本当なのか確認してみたいと思いました。作家に会って話を聞いて、東京朝鮮中高級学校に行って見れば信じられるかもしれないと。
それで作者の朴基碩先生に手紙を書いて、一二月に神奈川まで会いに行きました。会う前から翻訳して韓国で紹介したいという思いはあったのですが、なかなか言い出せず、最後の日にようやく「翻訳させてください」と頼みました。一週間後に第一章を翻訳して先生にメールで送りました。朴先生がそれを読んで、間違ったところを訂正して、感想を送ってくださる間に次の章を翻訳するという共同作業がこの時から始まりました。六か月の間こうしてやり取りをして第一巻の翻訳が終わったころ、朴先生も私が本気だということをわかってくださったようです。
朴先生は、一九九〇年代に日本にいる人たちに知ってほしいと思って書いたこの本が、韓国で紹介されるとは考えたこともなかったわけです。ところが翻訳されて送られてくる原稿では、当時一緒にふざけたり、喧嘩したり、悩んだりした朝鮮学校の友達、小説の登場人物が、朝鮮語を話すキャラクターとしてよみがえってきて、そのことが一番面白かったとおっしゃっていました。一年六か月ほどかけて上・中・下の三巻を全部翻訳した後に、数冊製本して、周りの人たちに配りました。
翻訳を始めてもどかしかったのは、小説に出てくる主人公のアボジの古鉄屋や養豚業という職業やパチンコ、ホルモン屋など、在日朝鮮人の暮らしがどんなものなのか、イメージをつかめないことでした。それで日本とソウルを何度も行ったり来たりしながらあちこち歩き回りました。とはいえ在日朝鮮人の知り合いがいるわけでもなく、思いつくままに回っていたのですが、この時初めて訪ねた朝鮮学校が四国のハッキョでした。事前に手紙を出して一人で行きました。そんなこともあって四国ハッキョには今も特別な思い入れがあります。当時、どこからあんな勇気が沸いたのか、今も不思議です。
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