日本人として朝鮮学校に向き合い 社会の閉塞感を変えていきたい
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修学旅行通じて身近になる朝鮮
金朝鮮学校は子どもたちを洗脳しているというようなイメージを持たれています。しかし在日朝鮮人にうまれた子どもたちは、物心ついた時から否応なく「朝鮮人」はネガティブな存在だと認識させられて、自分が朝鮮人であるという事実をどう受け入れればいいのかを常に考えざるを得ない状態に追いやられています。朝鮮学校はそれを一緒に考える場で、それは洗脳ではなくて、個の確立の過程だと思うのですが。
竹朝鮮に行ったときに初めて生活総括という言葉を聞きました。自己批判のような重い印象を受けたのですが、ハッキョの総括は違うなと思いました。日本の学校に導入した方がいいんじゃないかと思うくらいでした。みんなでクラスにどう向き合うのかとか、団体の中で個としてどう動くのかというようなことを一緒に学んでいるように思います。先ほども言いましたが、私は関心があって朝鮮学校を訪ねたのではなくて、ふとしたことで朝鮮に行くことになって朝鮮学校の児童や生徒・学生と知り合いになりました。その後その知り合いたちを通じてイベントだけではなく普段の学校とかかわるようになって、子どもたちや先生のやり取りを通じて朝鮮語を学び始めました。その過程で「洗脳」されていると思った事は一度もありません。
皆が同じというのはありえなくて、「肖像画」に洗脳というイメージがあるのかもしれませんが、実際に中に入ってみると実態は全く違うと思います。
高級部三年生に「祖国」って何なのということを聞いたりするのですが、今の生徒たちが「祖国」というものをどれくらい意識しているのかは疑問です。京都の中級部の壁に朝鮮語が九つ書いて貼ってあったのですが、内四つは韓国で流行っている言葉で、ほかは朝鮮で使っている言葉でした。そういうところも面白くて、国に特化されない部分がありながら、「愛国歌」が流れたりもしていて。
金でも今の学生たちの方が、かつて朝鮮を訪れる機会が限られていた時代に比べたら朝鮮を身近に感じているように思います。
竹朝鮮に実際に行くまではあまりいいイメージを持てていない生徒も多いようです。ある生徒は、帰って来た後の報告会で写真を見せながら訪朝できてよかったと言って、進学先を朝鮮大学校に変えたりする先輩を見て、それこそ洗脳されてきたんじゃないかと思っていたけれど、実際に行って見ると、その先輩たちも朝鮮でいろいろなことを考えた結果自分で進路を変えたんだということが分かった、と言っていました。朝鮮訪問に関しては、報告する側と聞く側、学校側の意図するところと生徒たちの受け取り方がそれぞれ微妙に異なっている、とも感じました。それは当然のことのようにも思っています。
金これからどういうふうに付き合っていこうと思っていますか?
竹個人の関係を築くだけでなくて、日本人としてどう向き合い、それをどう発信して行くのか、それが課題だと思っています。他者に対して自己がどう向き合うのか。私は日本人なので、当事者の方たちが守りたいと思っているものを守れるように手助けをしながら、今の日本社会の閉塞的な雰囲気を変えていきたいです。
戦争とか紛争に関心がある、と言っていた学部生の低学年のころは、人びとの肉体的な痛みをどのように減らしていけるかという点に強い関心を持っていたのですが、今はどちらかというと精神的な痛みにも向き合っていきたいと思っています。当事者の精神的な痛みは消えないけれど、やった側は全く自覚していない。それで今の日本があるように思います。自分は痛みを加えた側、今も加えている側に属していますが、それでも私と同世代、また私より下の世代の人びとが関心を持つように働きかけていくとか、向き合い続けることが大切なのではないかと。ゴールはまだわかりませんが。
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