日本人として朝鮮学校に向き合い 社会の閉塞感を変えていきたい
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日本文化も受け入れ
多様化しているコミュニティ
金始めはわからないことが多くて質問ばかりしていたとおっしゃっていましたが、それから数年経って今、日本社会の中の朝鮮学校はどういうふうに見えますか?
竹一言でいうと面白いです。ある父兄は、高級部生の時に在日朝鮮人コミュニティは狭いと思われたそうで、大学を出た後は在日朝鮮人コミュニティとかかわることはほとんどなかったのに、子どもができて、子どもをウリハッキョに入れたことでコミュニティに戻ってきたという話をされていました。どれくらいの期間朝鮮学校に通ったのか、どんな学校生活を送ったのかによっても違うだろうし、それぞれ朝鮮や総連、ハッキョとの距離や考え方は様々だと思います。在日朝鮮人社会が朝鮮学校の周りだけなのかというともちろんそうではないのだけど、ある面ではハッキョが地域のコミュニティの拠点にもなっている、そのような事象も含んで、面白いというか興味深いです。五世まで下りてきていまだにコミュニティが残っているというのは、世界でもまれだと思います。文化としては日本と朝鮮半島のそれがミックスされてもいるのですが、当事者たちはあまりそのことは意識していないようにも見受けられます。朝鮮学校に通っていないと朝鮮人としてアイデンティティーを持つのは難しいと言われていて、確かに大きな部分をハッキョが担っているとも思うのですが、一方でハッキョに通っている児童・生徒も日常では日本と朝鮮の文化が上手い具合に混ざっていて、そんな現状をつかむのに時間がかかりました。在日朝鮮人社会はがっちり固まっている社会だと思っていたので。
ハッキョを支援する日本人側にも問題があると思っていて、もちろん全員ではないのですが、中には関心を持ってきて下さった方に対して「何もわからないで来るな」「もっと勉強してから来い」というように、ただ突き放してしまうような支援者もいらっしゃって、それはもったいないなと思います。ただ確かにハッキョもそれぞれどうやって門戸を広げていけばいいのか、いろいろ模索している中で、よくわからない日本人がドカドカ入ってくるというのは、私が当事者だったとしたらやめてほしいと思うと思います。そのような中で、例えば東京第九では、低学年の児童が私を見てほかの児童に「あの人は何の人?」と問うと、その児童は「『サランの会』の人だよ」と答え、質問をしていた児童も「ああ、そうか!」と納得してそこでこの会話は終わる、という状況がみられるのですが、子ども同士のそのやり取りは私にとってはちょっと衝撃的でした。そこまで周りの人が入り込んでいるんだなぁ、という点を実感した、というか。
金警戒しなくてはいけない現状もご存じだと思います。
竹もちろんです。その中で日本人としてどうかかわるのかという問題を重く受け止めていますし、この問題、朝鮮半島と日本、在日朝鮮人と日本人のかかわり方については生涯取り組んでいくつもりです。
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