日本人として朝鮮学校に向き合い 社会の閉塞感を変えていきたい
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日常の朝鮮学校の児童生徒と
周りの人々の関係を知りたくて
竹私としては日本人として何ができるのか? 関心がなくて、よく知りもしないでネガティブなイメージを持っている日本人が多い中で、朝鮮の政権のプロパガンダをやっているのではないかとしか思っていない、特に若い世代の人たちに、何か働きかけられないかと考えています。国交は国家同士の問題ですが、私は学生交流をして同世代の友達を作ることができました。そこまでは良かったのですが、ではその後に自分には何ができるのか、関係改善のためにどのように自分自身は動けばいいのか、ということを二年目くらいから模索し始めました。どうやったら日本人としてかかわり続けることができるのか、関係改善の役割を果たせるのか? 今もその答えはわからないのですが、とりあえずできることからと思っています。大学生の頃はそんな感じでした。
金卒業後、大学院に進もうと思ったのは朝鮮学校と関係があるのですか?
竹あります。大学院への進学を決めたのは四年生の頃なのですが、就職をしたら、朝鮮半島や在日朝鮮人社会との直接的な接点は少なくなるのだろうなと思っていました。自分ごととして、もう少し考えていきたいと思いました。さっきのごみ箱の話ではないですが、朝鮮学校に関する論文は結構出ているんですね。私は暮らしの中での朝鮮学校と周りの人々との関係性について論文を書きたいと思っていたのですが、人類学論文でそれを書くのは難しいところもあって…。今は、四世、五世の子どもたちが祖国をどう捉えているのか、そしてハッキョに通っている生徒とハッキョにかかわりのある人たちの関係について、国籍にとらわれないで書いてみたいと思っています。
金論文を書くために関係を深めようと思ったのでしょうか?
竹大学院に進学したので論文は「書かなければならない」状態になってしまったのですが、そのために関係を深めようとしているわけではないですし、ただ論文を書くことを目的にハッキョに通っているわけでもありません。一方でボランティアをしているという意識でもないですし…。日本の学校でも外部の人間がこれほど深く子どもたちとかかわれる機会はなかなかありません。「サランの会」を通して障害を抱えている児童の見守りを、ということで、初めて一日学校で過ごしたのですが、参観日以外の日に授業に丸一日参加させてもらうという機会は、考えてみれば初めてでした。どこまで学術的な論文が書けるのかは私自身の力量次第なのですが、最終的には、日本人がもっと直接的に過去と今、そして未来について思考できるような社会を築いていきたい、その一助となりたいと考えています。
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