パリでウリハッキョ、 朝鮮籍を考える
スポンサードリンク
黄純実・パリ在住
facebook 2018.6.13より
朝米首脳会談―歴史的な瞬間を生きてるなと感じます。
只今、フランスに音楽留学中で語学学習のために、la radio de françaisの簡易ニュースを毎日聴いているのですが、ここ二週間、フランスでもずっと首脳会談のニュースでした。
私は朝鮮民主主義人民共和国(以下 DPRK)のパスポートを持って渡仏しました。
とは言え、国籍がDPRKという訳ではありません。国籍は「朝鮮」です。「朝鮮籍」とは、戦後、日本政府が区別をする為に記号としてつけたもの。
なので、「朝鮮」という国が存在しない今、私は実質「無国籍」なのです。
フランスに来てから、まず、先に行わなければならないのは銀行口座の開設。
銀行口座がないと何もできません。
着いてすぐに口座を作りに行きました。ですが、パスポートを見せた途端、担当者の顔色が変わり、うちでは口座開設はできません、と断られました。
他の銀行に問い合わせてみると「DPRKはブラックリストにのっているから口座開設は出来ない。」と、またもや断られました。
結果的に、親切な日本人銀行員の方に出会い、アポスティーユ(出生届など、日本の公的文書を海外で証明出来るもの)の付いた書類を出しまくり、なんとか開設することが出来ました。
銀行口座を開設しないと本当に何も出来ないので、焦りや不安が募り、家で自分のパスポートを「この役立たずめ!」と言って投げつけてました(笑)
開設出来たからよかったものの、あのお優しい日本人銀行員の方に出会わなかったらと思うと今でもゾッとします!
とにかく、DPRKのパスポートを持って海外に行くということは特別なことなんだと感じさせられました。
国籍を聞かれたとき、パスポートの表記は一応DPRKなので、「corée de nord」(仏語でDPRK)と、答えると、
「君、フランス語間違ってるよ。nordだと北になっちゃうよ。sud(南)でしょ?」
「間違ってません。nordです。」
「c’est vrai!?!?! (マジかよ!!)」
という会話になったのをすごく覚えてます(笑)
他にも「ヤバイ! パスポート見せて!」「DPRKに実際行ってみた? どうだった?」「君はDPRKの幹部の娘なの?」など(笑)
パスポートをキッカケに色んな人と仲良くなれました。
フランス語に少しずつ慣れてきたので、最近では自分はsans nationalité(無国籍)であるという説明もしています。慣れてきたと言っても語学力はまだまだですが…。
中には、総連や民団の存在を知ってるフランス人の大学生もいて、「パスポートがDPRKで無国籍ってことは、君、総連に属してるんだね」
と、正確に認識していて本当によく勉強してるなと感心しました。
正式名称まできちんと朝鮮語で発音してました。まさか、フランスで総連の名前を聞くとは思わなかったので、思わず聞き返しましたしね(笑)
因みに、フランス人の友達とは語学交換の場で出会ってます。
私は日本語ではなく、朝鮮語で語学交換を行ってます。
留学生活は最初に書いたような苦労も沢山あります。お風呂の水が流れなくて、入浴を断念せざるを得なかったり、電気がつかなくなって、iphoneのライトをつけながら語学の勉強したり、楽譜書いたり…トマトをきちんと冷蔵庫に入れたはずなのに何故か凍ったり、自販機で買った物が出てこなかったり、本当に泣けました!(笑)
ですが、そんな苦労に勝るくらい学べるものも沢山あって本当に来て良かったなと思ってます。
毎日楽しすぎて、今死んでも何の後悔もないと思いながら生きてます。
楽しく留学生活を送りながら、ふと、考えさせられました。
もし、ウリハッキョ 朝鮮学校に通っていなかったら?
私は自分のルーツをきちんと説明できただろうか?
自分の国籍の事、きちんと説明できただろうか?
自分の国の言葉で言語交換出来ただろうか?
そもそも外国語に対する恐怖心で留学なんて来てなかったんじゃないか?
あまりにも当たり前のことすぎて、日本にいる時は何も考えてませんでしたが、日本語も朝鮮語も理解出来るというのは、本当に素晴らしいことです。
海外に出て思い知らされました。
ウリハッキョに対して、不満を感じてる在日の方も沢山いらっしゃいます。
実際、私自身、在学中に一度も不満に思ったことないと言えば嘘になります。
ですが、バイリンガルになれます。
頑張れば英語だってきちんと勉強できます。
自分のルーツについて習えます。
これだけで充分ではないでしょうか。
あとは本人の努力や行動次第ではないでしょうか。
国籍に関しても、渡仏前、ビザの申請や手続きなどで苦戦して何度も変えたいと思いました。日本のパスポートほど、よその国から信頼の厚いパスポートはありませんからね。
我が家でも、日本籍が無理だとしても韓国籍に変えるという話になりました。
ですが、私は当時まだ一八才だったので、親も一緒に国籍を変えないといけませんでした。
それがわかった途端、両親に
「あんたの人生じゃけ、あんたが国籍変えるのは構わんけど、アボジとオモニはプライドあるけ変えんよ。二〇歳になったら一人で変えんさい。」
と言われ、国籍を変えることは出来ませんでした(笑)
その時は、娘がこんなに苦労してるのに、なんて薄情なんだ!!
と思ってました(笑)
勿論、今では国籍を変えるつもりは毛頭ないし、何故、両親が今までそれを守って来たのかも分かりました。そして、同時に両親の強さを感じました。
自分の行きたい道に進ませてくれたこと、経済的援助をしてくれること、そして自分のルーツを守り信念を持つよう育ててくれたこと、本当に感謝してます。
両親には一生頭が上がりません。
私もまだ生まれて一九年の青二才。
おまけにまだ何も結果を残せてないので、大きなことはいえません。
ですが、これからアーティストとして、こういうことを発信して行けたらと思っております。
自分のルーツを守れずして、人様に感動を与えるような演奏は絶対にできません。
朝鮮民族の為、ウリハッキョを守る為、私の留学生活の安泰をもたらす為、そしてDPRKパスポートを海外で通用させる為にも朝米の関係が少しでも早くよくなり、祖国がいち早く統一することを心の底から祈ってます。
長々しく、拙い文章での投稿でしたが、最後まで読んで頂き誠にありがとうございました。50