私たちの福島朝鮮初中級学校物語
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尹成銖
>>>そんすブログ「映画もええが読書も徳っしょ」6・19より
ある人を紹介します。それは、福島のときのソンセンニンです。
福島ハッキョには寄宿舎があります。
私も九年間、寄宿舎で育ちました。
寄宿舎の中には食堂があります。ここで全校生が昼ごはんを食べます。私は朝昼晩三食食べていました。
そこには食堂のオモニが働いていました。オモニのご飯より食堂のオモニのご飯をいっぱい食べたと思います。
その食堂のオモニが年齢と体調の関係で、ハッキョ[学校]を卒業することに。別れを惜しみながらも感謝の気持ちを伝え、食堂のオモニを見送りました。
すると出てくる問題は、食堂をどう運営するか、全校生の昼ごはんを誰が作るかという問題。何ヶ月はソンセンニン[先生]達が交代しながら昼ごはんを作っていましたが、忙しさなどの関係もあり、ひとりのソンセンニンが食堂を担当することに。そのソンセンニンは男性でした。
もちろん他のソンセンニンよりは受け持つ授業も少ないですが、教員と食堂のアボジを両立されるその姿には、尊敬も覚えつつ、申し訳ない気持ちが大きかったです。
今回紹介する人は食堂のアボジではありません。食堂のアボジと同い年のもうひとりのソンセンニン。とても陽気で、体がゴツく、体育会系バリバリの筋肉ゴリラみたいなソンセンニンでした。
体育の授業だけではなく、寄宿舎にも毎日遊びに来てくれて、そのソンセンニンのおかげでいっぱい笑い、いっぱい泣いた記憶があります。
ある日、昼ごはんはやきそば。
生徒たちは大人気メニューであるやきそばを早く食べたくて、午前の授業が全然頭に入りませんでした。
そして待ちに待った昼ごはんの時間。我先と食堂に入っていく生徒たちを「絶望」が待っていました。
食堂に入った瞬間のタバコのにおい。食堂のアボジがタバコを吸いながらやきそばを作っていたのです。やきそばの味は前代未聞のタバコ味。隠し味でタバコを入れたんじゃないかというくらい、タバコのにおいが染み付いていました。
やきそばをもらいテーブルに置いたはいいものの、なかなか手を出せない生徒たち。中には、味噌汁にやきそばを漬けて食べる人もいました。
生徒たちは、「まっず!」「くっさ!」など言いたい放題。もちろん食堂のアボジに責任はあるのですが、今考えれば、人の気持ちを全く考えていない生意気な態度だったと思います。
ここでゴリラ先生登場。
やきそばを持って、私の横に座りました。こっちを見たゴリラ先生は「え、食べないの?」と言って、ガツガツやきそばを食べ始めたのです。
失礼ですが、これだけは先に言っときます。本当に食べれる代物ではありません。
なのに!? ゴリラ先生はぺろりとたいらげ、食堂のアボジのところへ歩いて行き、一言。
「おかわり、ちょうだい!」
これは後で聞いた話ですが、その日の夜、ゴリラ先生は食堂のアボジを本気で怒ったそうです。
生徒を想って、卒業された食堂のオモニを想って。ハッキョに預けてくれている父母たちにどんな顔して会うんだと、温厚な先生が、同い年の友達を想って本気で怒ったそうです。
その後は一切問題も無く、美味しく常に笑顔あふれる食堂がハッキョに戻ってきたのでした。
こんなにも生徒のことを想ってくれるソンセンニン達に教わることができたのは、本当に幸せなことなのかもしれません。
社会人になったいま、またソンセンニン達と同じ食堂でご飯を食べて、思い出話に花を咲かせたいですね。50