10年目迎えたセッピョル学園は誇り。同胞のつながり広めたい
スポンサードリンク
マスコミに勝つには会って話すこと
金活動家を二二年間続けてきて、今どんなことを考えますか?
李私は両親が活動家をしていたわけでもないので、最初はニ~三年と思っていました。でも今までやってきて後悔はありません。「よかったの?」と聞かれたら「よかったと思う」と答えますね。
セッピョル学園を生み出したことも一つの喜びでしたし、些細なことでも「ありがとう」と言われると励みになります。おとといの歌劇団公演もうまくいってよかったです。
金茨城で二二年間やってきて、茨城がこうなればいいというようなビジョンは?
李まずはやっぱり、人が集まる機会が少なくなって、規模も小さくなっています。それが結果としてハッキョの児童生徒減少につながっています。もっと人が集まる場を作って、コミュニティーを活性化させなくてはと思っています。青商会だけではなくて、朝青や女性同盟もこぞってそういう機会を作っていければと思います。かつて総連の強みの一つは数でした。朝鮮半島で言い流れが起きているので、私たちが動けば動くほど結果が出るのではないかと思います。特に茨城は広い平野なので、一つに集まるのは大変です。インターネットもSNSもありますが、でも直接顔を合わせて、握手を交わす場を一回でも増やしていくことが今の課題だと思います。
茨城の青商会は本来、県の青商会だけだったのですが、二〇一一年から地域の青商会を作っていきました。その時の青商会会長が「それまで顔も見たことない人が、子どもが六歳になったから入学願書を持って来たと言って、子どもを預けられるはずがない」と言っていました。子どもが五歳、六歳になったときにはすでに地元の保育園の保護者達のつながりができていて、わざわざ学費が高くて、児童数が少なくて、遠いウリハッキョに送ろうとは思えない。普段からしょっちゅう顔を合わせて信頼関係を築くことが大切なんですね。子どもが生まれた時、結婚した時から、いやその前から顔を合わせるコミュニティーを作らなくてはということで、地域の組織を作ることになりました。
私が朝青で活動しているときに、大先輩が「同胞たちは毎日日本のマスコミにさらされている。いやでもウリナラの悪口を耳にして、マスコミに都合のいいようにピックアップされた映像を見せられる。避けようがない。そんな日本のマスコミに勝つ方法は一つだけ、訪ねて行って話をすることだ」と言っていました。テレビの影響を五〇%受けていても、一対一で話したことは頭に残るからと。そう考えると、会うというのが一番の活動ですね。
金一番大変なことですよね。気も使うし。
李そうですね。それでも相手が私たちの話に耳を傾けてくれると、うれしいですし、信頼も生まれます。
金朝青時代の一〇年を経て青商会の一一年の経験を積んで、今回さらなる飛躍ということですね。
李朝青時代にすべての土台が築かれると思います。昨日の夜もそんな話が出たのですが、特に地方ではそのようです。朝青の時に一生懸命活動した人が、その後も大切な役割を担って引き続き活動するケースが多いようです。私も朝青時代に築いた人間関係に助けられて、朝青時代の活動からいろいろ教訓を得ています。今、教育会の会長がセッピョル学園の初代学園長で、副会長が二代目学園長です。彼らはいつも次何をやろうという姿勢で、常に攻撃態勢です。そんな彼らの姿勢からも常に学んでいます。
金総連の活動では、全国的に五十代が弱いと言われていますが、青商会の最盛期を経た五十代の誕生で、新しい役割が生まれるかもしれませんね。
李そんな話も二、三日前に青商会のメンバーとしていました。初代学園長が今年で五十ですから、数年後には強い五十代になっているかもしれません。同時に若い人たちの話には説得力があるので、うまく活用していくことも大切だと思います。教育会に来た当時は、保護者のほとんどが先輩でしたが、今はちょうど中間の世代です。視線を常に保護者の世代に合わせていくことも大切です。そのために若い世代のいうことを尊重しなくてはと思っています。
金青商会OBの役割も新しく模索していかなくてはいけませんね。
李今回は十回目のセッピョル学園ということで、一か月くらい前に歴代学園長全員に長文のSNSを送りました。十回目なので、一度は顔を出していただけるとありがたいという内容で。一人だけ仕事の都合がどうしてもつかなくて来られませんでしたが、八人の学園長経験者たちが、一日目か二日目に来てくださって、うれしかったです。
金これからもセッピョル学園のさらなる進化と茨城同胞コミュニティーの活性化に注目していきたいと思います。ありがとうございました。
スポンサードリンク