10年目迎えたセッピョル学園は誇り。同胞のつながり広めたい
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良い人々に囲まれて活動家ならではの喜び
金李幹事長は茨城ハッキョを卒業して朝大に行かれたんですか?
李はい、朝大を卒業して茨城県の朝青本部に就きました。朝青で一〇年活動して、一一年前に教育会に来ました。主にハッキョの教育会の仕事をしています。
金じゃあ、二〇年以上同胞の中で活動されてきたんですね。
李今年で二二年目ですね。
金学生時代から総連の活動家になりたいと思っていたのですか?
李そんな考えは全くありませんでした。朝大に行って、四年の秋になってもまだ決めていませんでした。大学で地元の朝青に行きなさいと言われ、地元でも来てほしいといわれたので、とりあえず二~三年やってみようかという感じでした。周りはみんなやめて行って自分だけ残って、気が付いたら二〇年が経っていました。
金やめようと思ったことはなかったのですか?
李朝青の時は、四~五年目くらいまでいつかやめるんだろうなと漠然と思っていました。ところが朝青委員長になって、一生できるかはわからないけれど、そのつもりで一生懸命やらなくてはいけないと思うようになりました。それまでの「朝青トンム」から「委員長」と呼ばれるようになって、いつも気遣ってくれて、大切にしてくれる、とくに年長の同胞たちの期待にこたえなくてはという責任を感じるようになりました。
カンパをお願いしに行っても、いやなことを言う人よりも頑張れと言ってくれる人たちが多くて。頑張れと言って、お願いした金額の二倍くださる方もいらっしゃいました、決して小さな額ではありません。本部が放火されたことがあったのですが、その時も日本の方が心配してくれて…。後輩たちにも助けられて、私はいい人たちに囲まれています。よく冗談で、「他力本願でいつもやってきた」と言うのですが、本当にそう思っています。そうして気づいたら二十年経っていました。先生たちは卒業式をすると先生をやめられないといいますが、それは三六五日の積み重ねがあってそう言えるのだと思います。活動家も二一年の間に積み重ねられたことがいろいろあって、今回おそらく青商会は卒業することになると思うのですが、やめられないのだと思います。
金そういうことをやりがいというのでしょうが、それはやればやるほど感じるものなのでしょうか?
李そうですね、やはり結果が出ないとやり遂げたという達成感は得られません。一生懸命やったつもりでも結果が出ないというのは、やはりどこかで足りなかったからだと思います。活動すれば必ず結果は出るし、自分に跳ね返ってくる喜びが必ずあるはずです。人のためにというきれいごとを言うけれど、そう思っているうちはなかなか結果にはたどり着けない。一心にやっていればそれがどこかで誰かの役になっているんですよね。
最近は、厳しい情勢の下で日本の方々が本当によく手伝ってくれます。例えば、この間一緒に食事しているときに、「使っているコンピューターが最近遅くて」という話が出ました。「いつ買ったんですか?」と聞かれて、「二〇一二年にハッキョのコンピューターを入れ替えるときに一緒に買ったからハッキョのコンピューターも遅いかもしれませんね」と何気なしに話したのですが、その話を聞いていた日本の方たちがハッキョのコンピューターを買い替える募金運動を始めました。ありがたいような、申し訳ないような…。最近までウリハッキョを支援する日本の方たちの団体はなかったんですが、二〇一四年にハッキョを支える会ができて、昨年末に水戸地区ができました。本当によくしてもらっています。こういう喜びは、ほかの人たちが経験できない事だと思うので、幸せ者だと思っています。
私は今もセッピョル学園の前日なんかは、遠足の前日の子どもようによく寝られません。チャリティーゴルフコンペでもそうです。青商会を卒業して、一線から外れるので少し寂しい気もします。活動家なので、異動があるかもしれませんしね。昨日は、泣いていた中三の女子生徒と同じくらい心の中で涙していました。セッピョル学園にがっつりかかわるのは今年が最後ですから。これまで十年間のセッピョル学園は私の人生の中でも大きな比重を占めています。
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