10年目迎えたセッピョル学園は誇り。同胞のつながり広めたい
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「大人のセッピョル学園」、年の離れた同胞とも顔見知りに
金三回目以降、記憶に残る回は?
李五回目と六回目、二〇一三年と二〇一四年は参加した児童生徒の数も多かったのですが、青商会のメンバー数も多かったです。二日目の夜に青商会で集まって一緒に食事をするのですが、昨日は金曜日ということで二〇人ほどでしたが、この三~四年は三〇人ほど、ところがこの二年間は六〇人ほど集まりました。二次会はいくつかに分かれて同窓会のようになるのですが、この時の雰囲気がとてもいい、ただ終わって一杯飲むという感じとは違うということで、当時の許勇虎中央幹事長が「大人のセッピョル学園」と名付けて、それ以来皆そう呼んでいます。最初の頃は茨城の青商会に他県から五~六人参加するという形だったのですが、四回目くらいから県を越えて集まるようになりました。本来北関東の青商会は茨城高級部卒業生が多くて仲がいいのですが、食事会を通じて学生時代には知らなかった同胞や年の離れた同胞とも顔見知りになれます。
金セッピョル学園は子どもたちのためのイベントですが、それを主催することで青商会の活動にプラスになることが多いということですね。
李そうです。同胞大運動会、チャリティーゴルフ、そしてセッピョル学園が年間の三大行事です。特にセッピョル学園は子どもたちが楽しみにしてくれているので、大人たちもやりがいを感じているのだと思います。教育会の事務員のトンムの子どもは、六月になるとセッピョル学園の話ばかりしているといいます。副会長は、娘が、セッピョル学園が大好きだから、自分の中でもセッピョル学園が一番大切な行事になっているといいます。四回目の宮城の柳漢成学園長は、「息子が学園に合わせて床屋行くんだよな」と楽しそうに話していました。回を重ねるごとに子どもたちの期待が大きくなっている気がします。
同時に保護者や先生の関係もよりしっかりしたものになっているのだと思います。青商会のメンバーも、メインは二日目午後から夜にかけての運動会と焼き肉、文化公演ですが、そこに参加できなくても、開園式だけでも、閉園式だけでも顔を出そうと努力してくれています。ほかの行事にはそこまで無理して参加しようとはしませんが。
金セッピョル学園の十年は、青商会の成長過程でもあったということですね。
李三回目のセッピョル学園は、栃木にとってもいい経験だったのではないでしょうか? セッピョル学園には毎年メインテーマがあります。一回目の「2・4・3セッピョル!」は参加者の数が二四三人ということだったのですが、二回目から「チンヒョンジェ(兄弟)セッピョル!」、今年は「パルマッチョ(足並み合わせて)セッピョル!」と基本的に朝鮮語の三文字で、三週間前の中三講習会で生徒たちが決めます。
金中三講習というのは?
李進路講習会なのですが、年に二~三回、各地方から集まって茨城ハッキョで開催しています。一回目を六月の初めに開いてメインテーマを決めることになっています。クラブ合宿や中三合宿、セッピョル学園、それに東京や大阪での芸術祝典や体育祝典を合わせれば、中級部三年生は年に十回以上会っていると思います。
金こうして十年間を振り返って思うことは?
李セッピョル学園のスタートにかかわった一人として、公演や運動会、閉園式を見ながら、特別私が何かをしたわけではないけれど、非常に誇りに思います。こうしてやって来た結果がこの子どもたちの笑顔なのだと。児童生徒、先生、保護者、青商会を巻き込んでやってきたこの一大行事にみんなが心を熱くして、喜んで帰る姿を見ると、心から誇りに思えます。生徒数の減少などいろいろ厳しい問題も多い中で、セッピョル学園はそれでもプラスの役割を果たしていると思っています。
セッピョル学園を皮切りに、ヘバラギ学園やピカピカミレキャンプ、青商会学園も少し前に神奈川で始まったようですが、ハッキョごとに悩みも違ってやり方も違ってそれぞれの色合いがあると思うのですが、何年か前に群馬の先輩が「セッピョル学園が最初なんだから、ずっと輝き続けなくては」と言っていました。確かに私たちがしぼんでしまうわけにはいきません。最近は同胞たちが、子どもや親せきがいなくても茨城学区の他県のハッキョの運動会に駆けつけるようになりました。そうして子ども同士、大人同士のつながりが強くなったのは本当に良かったと思います。
セッピョル学園を通じて親通しが顔見知りになって、子ども同士が同級生だからとつながっている先輩や後輩もいます。同級生には学生時代の同級生と子ども同士の関係でつながった同級生があるようです。茨城ハッキョの高級部の卒業式が終わると、卒業生は卒業生で食事に行って、それを待つために親は親で食事に行きます。十二年間一緒だともはや腐れ縁になり、高級部になると他県の保護者達とも関係が築かれます。
ただ続けているだけではなく、時代や生徒のニーズに応じて発展させていかなくてはいけません。そのための研究は引き続き必要です。生徒数が引き続き減少しています。どこかで跳ね上がり現象を起こさなければならないのですが、セッピョル学園もそれを支えるため、何か工夫が必要だと思います。ネット社会に対応した工夫も必要です。
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