ウリハッキョは心のふるさと教育権獲得を決してあきらめない
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インタビューを終えて
金淑子
三月最後の金曜行動の後、インタビューした。
質問すると、しっかりとした文章で答えが返って来た。聞いていると、その時々の様子や心の動きが、まるで映像を見ているように目に浮かんだ。
昨年九月に東京で行われた全国オモニたちのアクションで、各地から集まったオモニ会の代表たち十人が、壇上に座った文科省職員たちに差別の是正を訴えたときもそうだった。
「一審判決のため地裁に向う高級部生を校門で見送るために、中級部生たちはキャンプから一日早く戻って来た。裁判というと幼い子たちも聞き分けて自分の楽しみを後にする」
「サッカーでボールをけり、舞踊に打ち込む子どもたちの姿に感動し、同時に彼らが差別されていると思うと怒りを感じる、いつも感動と怒りがセットだ」、
「恩恵を施してほしいのではない、日本の社会で同じように暮らしていいのだという平等な権利を求めている」
民族差別と財政難の厳しい条件の下で、子どもたちの学びの環境を整えるべく悪戦苦闘し、「無償化」裁判でも原告たちを支えるべくいつも最前線で戦っているオモニたちの話には、ウリハッキョを守りたいという生徒や先生、保護者や支援者の思いと生活体験があふれていた。
その分敗訴の判決に「苦労の末にこんな結果が待っていたの」という落胆も大きかったが、「冗談じゃない!涙を流している場合じゃない」と巻き返す力も鍛えられていた。広島オモニ会会長だけではない、雨の日も雪の日も風の日も仕事を終えて、金曜行動に毎週駆けつける金栄愛会長しかり、毎週、毎月全国各地で街宣を繰り広げているオモニや保護者、卒業生たちしかり。七年の実践は、あきらめよりも、各地のオモニや同胞、支援者たちの温かいつながりを広げ、強さを育んできたようだ。
これまで大阪を除く、広島、東京、そして四月に愛知の三つの地裁が朝鮮学校の敗訴を申し渡した。判決文は、私たち在日朝鮮人が「いつものことだ」と見過ごしてきた差別の根源を今一度はっきりと目の前に突き付けた。「朝鮮人はうそつきだ!」というヘイトスピーチを、判決文風にアレンジするとこうなるのだろうか。ヘイトスピーチは感情に襲いかかるが、判決文は理性を刺激する。
名古屋地裁での判決後行われた記者会見で、弁護団の説明には法律用語が多分に含まれていた。それを食い入るように聞いていたオモニたちは、「そこが問題だよね」とうなずき合っていた。長い歳月がオモニたちの法知識を深めたようだ。そういえば金曜行動での学生たちのアピールにもますます磨きがかかっている。体験を織り込んだ彼らの話に、目頭が熱くなることも珍しくない。
政治家や行政に続いて司法からも「朝鮮人の排除は過ちではない」と言われて、同胞の多くが今、改めて日本社会における自分たちの存在意義を自問自答している。南北首脳会談が開かれ、六月には朝米首脳会談が予定され、アジアの構図が大きく変わろうとしている中、相次ぐ敗訴という結果を前に、朝鮮半島と日本の関係について、朝鮮学校の存在意義について、情勢に翻弄される人権について、検証せざるを得ない状況に追いやられているのだ。
もう上っ面の解決では誰も納得しない。「私たちのすべての権利、無償化のみならず在日朝鮮人の権利がすべて認められて、ヘイトスピーチもなくなって、ウリハッキョが一条校並みに保障される」(金栄愛会長)まで、情勢がいかに動こうと揺らぐことのない権利を獲得するまで、私たちの闘いは終わりそうにない。49
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