ウリハッキョは心のふるさと教育権獲得を決してあきらめない
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「金曜行動」で広がった人の輪
金その後もずっと「金曜行動」には参加しているんですね。
金栄愛会長そうですね。負けてしまったからというわけではないのですが。心の中では一二月八日が最後のオモニ会の参加だったので、その日までと思っていました。ところがその翌週は朝大の全学部生や同胞が参加する大集会で、またその翌週は長谷川先生が全国のウリハッキョ行脚のゴールで朝鮮大学校を訪れて、そのあとは朝大生が休みなので人数は少ないけれど大人たちが続けていると聞いて、結局ずっと続けてきています。
金ずっと参加して印象に残っていることは?
金栄愛会長大阪の判決が出て、その直後に参加した金曜行動ですね。私がメガホンを持って話している写真をどなたかが送ってくれたのですが、すごく喜んだ顔をしているんですよね。朝鮮人が認められた、司法の場で、というのがすごくうれしかったのです。
夏休みは参加する学生が少ない中で、「夏休み責任者のリャン・チャンスです」と自己紹介していた彼は原告でもあり、理工学部の後輩でもあるのですが、夏休みの間毎回参加していました。有言実行のトンムだなと思って、彼が毎週出ているなら、私も負けられないという思いがありました。
金「金曜行動」で広がった人の輪もあるんですね。
金栄愛会長ある意味、この一年間毎週行ったからこそ、そこにいるのが普通になりました。去年も来ていましたが、自分の当番の日とか飛び飛びだったので、自分の居場所がわかりませんでした。一年間来てみて普通に参加して、長谷川先生や森本先生、佐野先生、田中先生、呉亨慎顧問とも顔見知りになれて、挨拶を交わしていろんな話もして下さって。こんなに人って暖かいんだなと感じました。
本来人見知りが激しくて、朝高に通っていたころは男女が別のクラスだったので、男子生徒とは話したこともありませんでした。おまけに理数系の나班だったので、高二と高三はクラス替えもないまま持ち上がりで。一年の時の七班のトンムたちと二、三年の時の나班のトンムたち、あとは民族楽器クラブだったので、クラブの同級生と先輩後輩くらいでしょうか。狭い中だったのですが、濃くて楽しい学生生活を送りました。当時の民族楽器部は規律が厳しくて、先輩は怖かったです。でもそんな中でも楽しくて、今も民族楽器を引き続きやっている先輩も多いです。
金なんの楽器を担当していたんですか?
金栄愛会長ソヘグムです。最近また音楽っていいなと思っています。末っ子が吹奏楽部で、東京中高創立70周年の時にオモニたちが二百人合唱をしましたが、舞台に上がって合唱するなんて、おまけに娘がいる吹奏楽部の伴奏で歌えるなんて考えたことも無くて、こういうのってここじゃないと味わえなかったんだなと。この年に娘がウリハッキョに通っていて、私がオモニ会にいて本当に良かったなと思いました。学生時代は楽団だったので、舞台に上がることがあまりなくて、何十年後に自分が舞台で歌をうたって、子供が伴奏をするなんて、東京中高だからこそだなと感じて、本当にありがたかったです。
金オモニ会って大変ですよね。みんな仕事もあるし。会長はなおさらだと思うのですが。
金栄愛会長そうですね。断れない自分がいたということでしょうか。誰かがやらなくてはと思っていたので、こんな自分でもよければというか。会長になるなんてありえないと思っていて、最初に話が来たときは断りました。でも二度目に話が来たときは「これは自分の運命だ」と、私でよければ全力で頑張りますとお受けしました。
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