続あれから70年:今、改めて「4・24」を語る
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4・24教育闘争から70年
もくじ
六回目を迎えた「無名戦士の墓」の前での「今、再びその日を称え心に刻むマダン」
文・「記録する会」
写真・全賢哲
この日、黙とうはあえてしなかった。追悼ではなく、ウリッキョを守りぬくという戦いの新たな場にしたかったらだ。スマホのユーチューブから流れる、「4・24のうた」に耳を傾けた。中には思わず口ずさむ人、体験者だ。
「또다시 온다 4・24의 날 피에 물들인 원한의 날이 (再び来た4・24の日 血に染まったの恨みの日が)…」
スマホからの音が微妙にずれる。
「그러나 보아라 우리의(しかし見よわれわれの)…」の声に、「민족의 말을 배우는 자유를 빼앗긴(民族の言葉を学ぶ自由を奪われた)…」の声が重なる。
大きな桜の木の下、参加者のそれぞれの思いを一つに…。森本孝子さん、スーザン・メナデュ―・チョンさん、呉亨鎮さんたちがそれぞれの「4・24」を語った。ソウルから孫美姫さんがメッセージを伝えてくれた。
森本孝子さん(「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会、東京朝鮮高校生の裁判を支援する会事務局)
…裁判が始まって八年目になります。今なお差別がまかり通る現実に苛立ちながら日々を送っています。
昨日、チョツト嬉しいことがありました。一三人の議員が、東京中高を訪れ、授業も参観し生徒、教職員、オモニ会の皆さんと意見交換をしました。
「三代世襲をどう思う」とか、「日本で朝鮮人として生まれたことを悔やむことはないか」などの「意地悪な」質問にハラハラしたが、生徒会長と副会長は凛として答えていました。
七〇年前、済州島での4・3事件にしろ、4・24にしろ、アメリカという存在とそれに追随する日本の姿は今も変わらない。*話の内容は本誌に掲載
スーザン・メナデュ―・チョンさん
(龍谷大学・安重根東洋平和研究センター研究員)
「在日四一年、夫は在日韓国人です」との自己紹介。文科省前での「金曜行動」や「無償化裁判」、ウリハッキョの行事にも訪れているので、参加者の多くとは顔なじみだ。
翌日のfbには、次のようなアップが。
「昨日は青山墓地にある無名戦士の墓前での4・24教育闘争の七〇周年の式典に参加させて頂きました。愛知守山市のハッキョ閉鎖の写真を表紙に選んだ共同編集者—―李洙任、スティーヴン・マーフィー重松、ベフ・ ハルミの本「Japan’s Diversity Dilemmas (日本の多様性に対するジレンマ)」を紹介させて頂きました。オヒョンジンソンセンニムは、4・24教育事件の延長線は高校無償化闘争と話されました。これから子供達の教育権を守るために闘争は続きます。応戦させて下さい。」
「新たな刺激になりました! オヒョンジンソンセンニムは熱いですね!」とのコメントも。
孫美姫さん(ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会共同代表)
この日、孫美姫さんを含め、ソウルから三人のゲストが「マダン」を見守ってくれた。
孫さんは力強いメッセージを発してくれた。
「…今日のために歴史に身を捧げた方々います。私たちはその方々を烈士と呼びます。今を生きる私たちはその烈士を心に抱き、烈士の視線で、烈士と共に、烈士の志を守るために戦っています。金太一少年を心に抱き、朴柱範先生の視線で、かれらの志で生きる皆さんと私たちが歴史を作っているのです。歴史とともに生きましょう。歴史と共に、そして必ず勝利しましょう。」
そして、市民の会の会員であり、農民詩人のクォン・マルソンさんから託された、「その日の戦いがあったから―『4・24教育闘争』七〇周年を称え」を朗読。「ウリハッキョ、ウリハッキョの子どもたちよ/あなた方は…誇りだ/胸を張って進もう/あなた方は統一祖国の喜びです/澄んで明るく輝け」との詩は、参加者の心を揺さぶった。*次号に掲載
金淑子さん(『朝鮮学校のある風景』編集人)
一月末にインタビューした女性同盟大阪生野西支部の姜善和顧問の話(本誌48号に収録)をし、「私はどれほど一世、二世の生き方を理解してきただろうと自問した」と、語った。そして「金太一少年の、朴柱範先生の死から七〇年。もう一歩近く彼らに寄り添って私たちの歴史を見直そうと思う。そして今闘う同胞たちや日本と南北の支援者の方々の思いをより深く、しっかりと伝えていかなくてはならないと思った」。*話の内容は本誌に掲載
この日の参加者の三分の二が「マダン」への初参加。文弘長さんも、その中の一人。一九四八、四九年の教育闘争直後、「金太一賞」と「朴柱範賞」が制定された。彼は「金太一賞」受賞者の一人だ。
「…当時は何の賞か意味をよく知らなかったが…この場に立ち、これからもそれに恥じぬ一生を…」と。
呉亨鎮さん (在日朝鮮人歴史研究所顧問)
一〇歳の時の体験だった。警官がこん棒を振りかざし、捕まっていく先生、それに反対する集会と座り込み…鮮明に覚えている。金太一少年のように銃で撃たれるのではないか、アボジやオモニも捕まっていくのでは…その時のことがトラウマになっている。地獄と悪夢をみた。映画のワンシーンのように七〇年が経っても忘れることができない。こういう思いを子どもや孫たちにさせたくない、その一心だ。
日帝植民地三六年、解放から七三年、朝連、民戦、総連と、弾圧、弾圧の連続だった。在日は一〇〇年間、戦い続けている。これからも戦い続けるであろう。
今日のこの場がその戦いの最前線だと思っている。新しい勝利に向かい前進するスタート地点だと…。朝鮮半島の春の兆しが朝鮮学校の春に繋がるよう共に一層頑張ろうと誓い合いましょう。
七〇周年なので、七〇人はと思ったが、準備した冊子が一〇部ほど余った。
話したいこと、聞きたいことはまだまだたくさんあった。「来年も」ということで散会。孫美姫さんもって来くれたがソウルの日本大使館前での「金曜行動」で掲げている、「朝鮮学校差別反対」と、「高校無償化適用!」のスローガンをかかげ、記念写真を撮った。
史実を知識として知るだけでなく、一、二世たちの生き方を理解しなくてはいけないと思った七〇周年の春だった。来年、また一歩進歩してこの日を迎えられたら―主宰した『朝鮮学校のある風景』編集部の思いである。49