ウリハッキョを発信の場にスタートした「坂道ぷろじぇくと」
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「支部はいいです、同胞と近いので」
金朝青に来て、はじめから本部だったんですか?
金委員長本部に赴任して三か月後に支部に行きました。それから七年間支部で活動しました。右京支部と左京支部です。
金支部の活動はどうでしたか?
金委員長支部はいいです、同胞と近いので。同胞と会うのは楽しいです。基本的に支部では、専任の朝青活動家は一人です。一人で構想して準備して実行して、その過程で支部の朝青員たちと力を合わせて。責任をとるのは自分ですが、いろいろ構想しながら、朝青員たちにこれをどう話したら、わくわくしながら活動してくれるのかなと考えるのが楽しかったです。
金印象的な出来事は?
金委員長今、頭に浮かんだのは、左京支部にいたときに花見を企画したんですが、その当時支部の朝青員たちはすでにいい関係だったので、目を外に向けようということで、留学同のトンムたちにも声をかけて、ほかの団体の青年たちにも声をかけて、詩人の河津先生も呼んでみようということになったんです。どうしてそういう発想になったのかはわからないんですが、左京に住んでいらっしゃるのでということもあって。そしたら許玉汝先生と一緒に来てくださいました。出町柳より少し北側の川辺に四十~五十人くらい集まって、楽しかったです。十一年か十二年でした。
金そういうことを常に考えているんですか?
金委員長そうですね。朝青活動で、専任の活動家は組織以外の人と交流することがありますが、朝青員や一般の同胞がほかの団体や日本の人と交流する機会は、職場以外あまり多くありません。朝青活動は目標がはっきりしています。同胞青年を朝青に網羅しようという。網羅して学習会を一緒にしたりしながら意義を理解したりするのに、少し時間がかかります。そのうえで外の人たちと交流するというとなかなか難しい。でもそんな機会を作りたいという気持ちはありました。それで河津先生を呼ぼうと。ちょうど高校無償化の問題が提起されて一年目だったと思います。
金河津先生はうれしかったんじゃないでしょうか?
金委員長詩の朗読もしてくださいました。
朝青活動は無敵
大きな志を持って
金七年目から本部ですか?
金委員長そうです、二〇一四年から。本部に来た当時は、定期大会の直後で、朝青本部の定期大会をして、九つの朝青支部の定期大会をして。一年間は、定例行事をこなすのでいっぱいいっぱいでした。そんな中でも二三期の活動をどうするのかという討議はたくさんしました。四年間のテーマやゴールを設定して、ゴール達成までの計画を立てました。
金テーマは何だったんですか?
金委員長「同胞第一主義」を実践しなくてはいけないという話をよくしました。それを理念に、「同胞たちの幸せ 同胞たちとともに」というスローガンを掲げました。すべての活動を同胞たちの幸せのためにする。同胞とは誰なのか? 同胞青年たちとすべての在日同胞、そして北と南、海外のすべての朝鮮同胞たち。朝青が元気な姿を示して、同胞たちとともに幸せを創造していこうということを理念にしました。どこに行っても朝青がいて、朝青の姿に同胞たちが力を得るような団体にしていこうと。じゃあ、同胞たちの幸せとは何なのか?生活が豊かになるのも幸せだし、祖国が統一されることも幸せだし、民族教育を守ることも幸せだ。それらのために朝青が先頭に立ってやっていこうと二〇一四年に討議決定して、二〇一五年に突入しました。
金討議の過程で最も議論が沸騰した内容は?
金委員長ピントを合わせるのが難しかったです。今言ったような内容は間違いではないので、決まった後はすぐに合意できたのですが、そこに集約するまでが難しかったです。
金そういう理論に基づいて朝青が具体的にできることは何なのでしょう?
金委員長何でもできると思っています。朝青というのは本当、無敵なんです。同胞たちが集まっている場所に行くと皆が、「朝青トンム!」と声かけてくれて、マリオで言えば、スターをゲットした状態なんです、常に。そういう時だからこそ、一番愛されている時だからこそ、大きなことができると思っています。支援してもらえるので。だから大きな志を持って物事に取り組もうと思いました。ただ発想が大きくなればなるほど、実践では同胞たちの中に入っていくことを忘れないように心がけていました。
金スローガンを掲げて最初にとりくんだことは?
金委員長朝青結成六〇周年の時だったので、中央でも各地の朝青組織でも記念イベントがありました。京都では同胞たちとともにという理念を実践するために、三つのことを決めて、それに従って三つの部会を作りました。朝青活性化部会、民族教育支援部会、祖国統一部会。同胞たちの幸せにこの三つのことが大きくかかわっていると考えていたので。朝青活性化部会では、行事を企画して各支部で多くの青年たちが参加するように働きかけました。民族教育支援部会では、朝青員たちを対象にした学習会を開いて、学校の先生の話を聞いたり、当時はちょうど在特会の裁判が終わったころだったので、オモニ会会長や弁護士に講義を頼んだり、財政支援のために様々なお祭りで売店を出したりしました。祖国統一部会では、当時がちょうど 六・一五共同宣言発表から十五年だったので、それを祝うパーティーを企画しました。
金一年間の活動はどうでしたか?
金委員長非常によくできたと思います。今は当時よりさらに高いレベルで活動していますが、当時は始まりだったので。スタートとしては良かったと思います。
金そうしてよいスタートを切ってから三年が経ち、間もなく二十四次大会が開かれます。この間二十三期の活動の中で最も大きな成果は何だったと思いますか?
金委員長一つを挙げて、これが一番大きな成果でしたとは言えませんが、活動理念が心の深いところまで染み渡ったことだと思います。同胞第一に立脚した理念が。
金それがいきわたったのは、どの単位?
金委員長朝青活動家の単位もそうだし、各支部の朝青員の中にも、さらに自分たちの活動を見た同胞たちの中にも伝わったと思っています。
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